1850年にメソジスト教会の指導者たちが、作戦を変えなければ、もしかしたら今は、イギリスとアメリカの国民はみんなメソディストになっていたかもしれない!
多くの大収穫は、Disciple Making Movement、弟子作りムーブメントを通して起こっています。
簡単にいうと、イエスの弟子、クリスチャンが、出て行って、新しい弟子を作り、またその新しい弟子が出て行って、さらに新しい弟子を作っていくプロセス、命の循環です。
この一つ一つの循環、段階は、「世代」と言います。このようなムーブメントは、掛け算で増殖するので、すぐ加速して、社会全体へと広がります。
分かりやすく例えで説明して見ます。まずは、2人のクリスチャンで始まることにしましょう。
1年間は2人だけで定期的に集まり、聖書を学び、聖霊様に聴き従う生活をします。
1年が過ぎた頃、それぞれ1人ずつ、友人の中から新しい人を導いて、同じ弟子作りのプロセスを繰り返します。
同じペースで、毎年一人を弟子化するとして、初めの二人が、10年間で何と1000人に広がります。
同じプロセスを5人でやると、10年間で、1000万人に届きます。
こういうムーブメントのためには、指導と監督の絶妙(ゼツミョウ)なバランスが必要です。
歴史を見ますと、監督と指導が足りない場合、また、コントロールをしすぎる場合、その両方においてムーブメントが始まらないか、途中で止まってしまいます。
また、実際に成長してるムーブメントを過度にコントロールしようとするなら、ムーブメントを殺してしまう場合も多いです。
コントロールせず、うまく指導と監督しながら、そのバランスを保つことが非常に大切です。
今日は、現代のメソディスト教会のルーツを少し見て学びましょう。
もちろん、これは過去でも、現在でもメソディスト教会に関係する人を批判するためではなく、ただ、ムーブメントの特徴を客観的に見て、そこから学ぶのが目的です。実際に、メソディスト教団の宣教の働きによって、世界各国に、また日本各地にも福音が届けられました。日本各地に病院や大学などの教育機関が設立され、彼らのレガシーは今でも各地で受け継がれています。
18世紀のイギリスで、ジョン・ウェズリーという若者を通して、大きなリバイバルと収穫が始まりました。
皆さん、ご存知だと思います。メソジストムーブメントです。
ウェズリーは、大学の時から、熱心な信仰を持っていて、牧師、そして宣教師になりました。海外の現地に派遣されましたが、すぐに疲れて帰国してしまいました。モラヴィア兄弟団の集まりで、ウェズリーは、切に聖霊のバプテスマを求めて、聖霊を体験し、人生が変わりました。
新しい聖霊様の命と力によって、伝道師となりました。イギリス中に、旅をして伝道しながら、二つの大きな鍵を強調しました:
まず、クリスチャンが、小グループで集まり、しっかりとした弟子訓練をすること。
そして、その小グループを監督するために、人を任命して遣わしました。
世代内で、イギリスの人口の3%がメソジストになり、その動きは世界的現象となりました。
アメリカのメソジストムーブメントは急激な成長で、約40年間で、アメリカの人口の5%以上に広がりました。
キリスト教歴にあるムーブメントの研究者によると、メソジストムーブメントの成功の鍵は、
全ての参加者がメソジストの弟子訓練のやり方と目的を熱心に守ったことであると認められています。
メソジストという言葉を見ると、英語の Method(メソッド)、やり方、方法から来ています。
つまり、メソディストは、弟子訓練のやり方がとてもしっかりしていて、皆が順序よく、そのやり方に従い、伝道と弟子訓練を行いました。
実は、最近わかったことですが、私はイギリス系のニュージーランド人ですが、私のひいひいおばあちゃんは、1870年ごろイギリスの南部で、メソジスト係の家庭集会の活動に励んでいたそうです。(ちなみに、僕は確認できるだけでも6代目のクリスチャンです!)
しかし、多くのムーブメントや大収穫の話と同じように、メソジストムーブメントも急激な成長の途中で、突然成長が止り、結局徐々に減少するようになってしまいました。どうしてでしょう。
このグラフを見ると、イギリスのメソジストの成長が分かりやすいです。
下は、西暦の年数です。
左側は、一年に加えられた新しいメンバーの数です。1765年から毎年、新しく信じた人が、どんどん増えました。
なぜか、1850年~1875年の間に、成長が急に止まりました。
なぜでしょうか?
成長を続けていた期間、彼らは、伝道と弟子作りという本来の宣教の精神を守っていきました。
全ての信者が、伝道して、弟子を作る、誰でも訓練を受けたら家庭集会などをリードすることもできました。
また、ある人は、旅をして伝道や弟子作りグループのサポートと指導の働きをしました。特別の資格や訓練は、要りませんでした。
しかし、メソジスト教団が、1850年に大きな変化を導入し、また、10年後の1860年にさらに大きな変化をしました。
まず、1850年に、メソジスト教団のリーダーは、指導者の教育や資格の条件を高めました。
メソジストの教職の資格を持たない指導者たちは、いつも他教団の人にバカにされ、「未熟で学識のない」人として見下ろされていました。一般信徒が集会を指揮していたからです。そこで、教団は伝道師と地方のリーダーに、まず4年間の神学資格を義務化しました。そこでまず、急激の成長がすぐに終わったのです!
次に、10年後、1860年に、ずっと重視してきた少人数の組み会、また、信仰のレベル別のバンド・ミーティング、つまり弟子作りにフォーカスした集まりを任意にしました。その時から今日まで、メソジスト教会は減少し続けています。
勿体無いですね!
1830年~1850年間、毎年8%の成長の確率を保っていたならば、アメリカは1930年までに、全員メソディストになっていたのに!
まあ、それは計算に基づいた想像だけですが、こういう話を通していい勉強になりますね。
英語のことわざ:
壊れていないものを修理するな!
1800年代前半のイギリスとアメリカのメソジストムーブメントは、弟子を作る弟子をどんどん作っていました。
イエスが見せてくださった大切な模範に従い、そして全ての人を弟子とする、イエスの大事な大宣教命令を守っていたのです。
そして、誰でも他の人をリードするためにトレーニングをして、弟子がどんどん増えて、ムーブメントが急激に広がりました。
でも他教団の人の意見が気になり、それを恐れて、リーダーたちが色々なルールや規定を付け加えました。
数年の間で成長が衰退しました。
最初に言ったように、監督と指導が足りない場合も、ムーブメントが始まらない。
コントロールがありすぎる場合も、ムーブメントが始まらない。
しかし、実際に成長してるムーブメントをコントロールしようとするなら、ムーブメントを殺してしまう場合があるのです。
どうぞ、祈ってください。
今後日本に来る収穫のために、神様が知恵のある指導者と監督者を建て上げて、聖霊の導きによってバランスを保ち、意図的に、また自然に弟子作りのムーブメントが広がるように祈りましょう。