同時通訳:相馬伸子

Loving the Living Word – Bill Johnson JAPANESE

詩篇119:6−16 、2テモテ3:12ー4:4 

私は学生のことは読み書きが苦手でしたが、イエスに全てを委ねまことの弟子となり、イエスを完全に私の主とする決断をした時から主が私に御言葉を読むための飢え渇きを与えてくれました。
聖書を読む時は2つの読み方を私話します。
一つは訓練として、習慣的に読む事です。私は1日を御言葉で始めて御言葉で終わるようにしています。
私達が聖書を習慣をつけて定期的に読むことを訓練するなら、神は主権を持って、私達が人生の危機やチャレンジがある時、いつもの習慣として読んでいる聖書箇所から私たちに語ってくれることができます。
私は主の言葉によって養われ、主が語るので生かされているのです。
また、「レクレーション」のように楽しみとして読む箇所もあります、それは私と主の関係できた歴史のある聖書箇所を読むことです。
それは、休暇に山小屋に行って狩や釣りをするように、リラックして働くことによって使ったエネルギーを回復されるようなことなのです。 

現在はたくさんのアプリやインターネット上の聖書がありますが、そのようなスクリーンの向こうの神の言葉とだけの関係ではなく聖書に書き込むことを励まします。
それは、旅の足跡のように神が語ってくれた事、日付を聖書に書き込みますが、それはラブレターのようになるのです。

2テモテの3:12から4:4の所にあるように、現在は聖書から「戒め」や「裁き」を取り去って、無視して、約束の言葉を異なる解釈にしている人たちがいますが、それは明らかに御言葉の剣から刃を削ってしまっているようなものです。
いらないものを取り去る目的で、刃があるのです。
父なる神は愛によってその言葉の剣で私たちに触れて、働きをしてくれ、それが終わった時に私達がキリストのようなものにされるのです。

聖書は全体で神の「全き助言」なので、それぞれの部分では異なっているように思うところもあるでしょうが、決して間違っているのではなく、互いが互いを補うようにしているのです。

私は人生で解決や導きが必要な時に主が語ってくれるまで、読み続けます。

神が皆さんに恵みを与えて、御言葉に対しての飢え渇きが常にあるように祈ります。
御言葉を読むことにとって、「悟り」があるなら、「知識や啓示」を良い管理人の父は与えてくれます。

英語動画(要登録):https://www.bethel.tv/watch/8055
英語音声:https://www.bethel.tv/en/podcasts/sermons/episodes/392