ローマ 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。
14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
「クリスチャンは何を信じていますか」と聞かれたらすぐ短い明確な返事はできますか?
ある人は準備ができてます。いつでも、どこでも話せます。
しかし、多くのクリスチャンはこの質問を聞かれたら困るでしょう。
具体的な例を見る前に福音を伝える原則を見てみましょう
原則だけですよ!ガイドラインです。ルールではありません。
私たちが皆神様の導き、聖霊様と歩調を合わして進むべきですね。
しかし、御言葉による原則とパターンには、多くのヒントがあります。
まず、福音の喜びと福音を伝える特権を覚えましょう。
詩篇40:9−10節、リビングバイブル:
9 私は会う人ごとに、神様が人の罪を赦してくださるという、うれしい知らせを伝えます。
そうすることにためらわなかったのは、よくご存じだと思います。
10 私はこの良い知らせを胸の中にしまい込んだりはせず、かえって、
神様のいつくしみと真実を多くの人にふれ回りました。
これこそ、福音ですね。
神様がイエス様の誕生、人生、十字架、復活を通して、私たち皆のためにしてくださったこと。
自分の努力、自分の修業、自分の行いによらず、ただイエス様がしてくださったことを信じて、向き直して、自分を明け渡すことによって、イエス様が買い取ってくださった天の御国の宝物を毎日経験することができます。
罪の赦しと聖めは、もちろん、
心の解放、悪霊からの解放、
体と心の癒し、人間関係の回復と癒し、
地球の聖めと癒しまでが、十字架にあります!
こんな素晴らしい知らせを胸の中にしまい込んだりはせず、かえって、神様のいつくしみと真実を多くの人に伝えましょう!
宗教ではなく、福音を伝えましょうね。
福音の一部だけを伝えるなら、それが福音で無くなる場合があります。
覚えてください。
福音は、祝福の溢れる音です。
本来のギリシア語も、英語のゴスペルも、グッドニュース、喜ばしい、良いお知らせの意味ですね。
私たちが人に、イエス様のことを話す時には、相手はそれを本当に良い知らせとして受けとっていますか?
希望の溢れる話ですか?
パリサイ人のメッセージに気をつけてください。
それは、律法のくびきや裁きの言葉です。何かの宗教団体の入信のお誘いです。
外側の行動を変えることによって、自分の中の問題を変えようとするのは、行い中心の宗教ですね。
福音は、自分の無力を認めて、全てをすでになしてくださったイエス様に向き直して、中から作り変えられる過程への招きです。
福音は、子供でもわかりやすく。
福音は宗教の神学や教理を勉強して、納得したり、人間の知識で理解するプロセスではありません。
我々の信仰の創始者、完成者であるイエス様ご自身と出会って、恋に落ちて、結婚のように関係、人生の旅です。
ややこしい要素を理解しないと救われない、そんな福音は福音ではありません。
それでは、人間の知性、理解力を救いの条件としてしまっています。
人間の知性ではなく、勉強することではなく、子供のように素直に明け渡すことが鍵ですね。
勘違いしないでください。もちろん、聖書の勉強、学び、頭で考えて、自分の思いを変えるプロセスによって、もっともっと知るようになり、成長します。
しかし、勉強大好きな日本人は、自分の力で、信仰を獲得しようとしがちですね。
福音は、勉強ではなく、出会いです。
自分で獲得して理解することではなく、自分に死ぬことです。
言葉遣いに気をつけてください。
言葉には、イメージがついて来ます。言葉を通して架け橋か、壁を作っている。
クリスチャンとして、私たちは、未信者の思いの中、どんな印象を残していますか?
例えば、キリスト教用語、特殊な言葉、宗教的な言葉、勉強や学びのような言葉などを使うと、もしかしたら、壁を作るかもしれません。
例えば、プロテスタント、カトリック、教団、教派、牧師、先生、集会、日曜礼拝、礼拝堂、何かの式などを使うと、宗教のイメージが強まる。
しかし、私たちが、自分の周りの人々に、新しいイメージを伝えるチャンスがあります。
神様との出会い、天のお父さん、羊飼い、主君、友達、家族、お兄さん、兄弟姉妹、
これらの言葉は、誰でも納得できる、普段の言葉です。
今日は、パウロの一例を見て、福音を伝える原則を見ましょう。
使徒の働き、17章にあります。
パウロは、アテネの広場にいて、哲学や論争などが大好きなギリシア人の間に立ち上がり、次の話をします。
部分的に見ましょう:
相手を尊敬する言葉
22 パウロは、マルスの丘の広場にの真ん中に立って言った。
「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。
23 私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。
パウロは、まず、相手に敵対している話ではなく、相手を褒める、尊敬する言葉を使います。
「あなたがたを宗教心にあつい方々」
「とても関心を持っているようですね。」
神様はどんなお方であるか
24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、
天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。
25 また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。
神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。
26 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、
それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
パウロは、ここで、神様のご性格を説明しています:全能の神様、力ある神。人間によって制限される神様ではないことを強調しています。
あなたも、私も、神様から命をいただいています。パウロは、相手も神様の子供だよ、と強調しています。
私とあなたは違う、のような言葉を一切使っていません。
神様のハートを示します:
27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、
神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
神様は近いですよ!
イエス様も、御国は近いと宣言したように、パウロも言っています。
これこそ、自分の犯した罪によって、神から遠く離れていると感じる人には、希望を与えるメッセージではないでしょうか。
共通点を強調する。
28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。
あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。
近いだけではなく、私たち皆は、神様の中に生きていますよ。
わたしたちは、その子孫、神様の子供です。
皆さん、気づいていますか?
パウロは、架け橋を作っています。
「あなたも、私も、全人類も、一緒です。」これは、大事なベースです。
上からの視線ではなく、内と外でもなく、あなたも私も、皆一緒に、神様の子供です。
このあと、パウロは、ギリシア人の独特の問題、偶像礼拝に対して話します。
そして、イエス様の復活を言ったら、急にギリシア人が話に割り込んで、論争しだします。
このパウロの説教は、私たちが従わないといけない模範、パターンではありません。
しかし、その中の原則は参考になりますよね。
そして、今日の最後の原則は:
言葉に頼りすぎないでください。
1コリント 4:20「神の国はことばにはなく、力にあるのです。」
実は、パウロはこのアテネでの説教が大失敗だと思っていた、という学者の意見もあります。
その理由はここにあります:アテネの後に、パウロは、コリントへ行きました。
そして、コリント人への手紙の中、アテナのことを失敗して反省しているような言い方をしています。
彼らが言うには、パウロは、聖霊様の力よりも、自分の説得力によって話して、あまり実を結ばなかったと言う意見ですね。
1コリント 2:1-5 をぜひ読んでください。
1 私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、
すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。
2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、
すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。
3 あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。
4 そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵の
ことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。
結論として、パウロが言います:
5 あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、
神の力にささえられるためでした。
はっきりしたメッセージも、明確な説明も大事です。
しかし、私たちの宣教とは、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによれなければなりません。
福音を伝える時は、このバランスを覚えなければなりません。
御言葉と神様の力を分けることができません。
分けてしまって、すぐれたことば、説得力のある知恵だけでしたら、私たちの説教はただの律法、または、哲学になり得ます。
ガラテヤ 5:6「愛によって働く信仰だけが大事なのです。」
少し振り返りましょう。
福音の喜びと福音を伝える特権を覚えましょう。
- 宗教ではなく、福音を伝えましょうね。
- 福音は、子供でもわかりやすく。
- 言葉遣いに気をつけてください。相手を尊敬する言葉を使って、壁ではなく、架け橋を作りましょう。
- 神様はどんなお方であるか、神様のハートを伝えましょう。
- そして、相手との共通点を強調しましょう。
次回も、続けて福音を伝える原則を見ましょう。
その時までには、この質問を少し考えて、グループででも話し合ってください:
- 信じる前には、どんな話を通して神様を信じるようになりましたか?
- よかった言葉、または、逆に邪魔となった言葉はありますか?
- 友人に、「クリスチャンは何を信じていますか」と聞かれたら、返事はできますか?
- その概要を話し合ってください。
- 今週、誰かに神様の愛を伝える相手はいますか?計画を立て、祈りましょう!