「使徒達の家」クリス・バロトン
House of Acts JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
使徒 2:41-46, 17:6、ネヘミヤ3:16
私は「礼拝」を心から大事にしています。「礼拝の学校」も作りました。しかしある期間は「礼拝」について、教えることから離れていました。その理由は、私達は「2つのスタンダード」「2つの考え方」をもっている信者を育ててはいないかと思ったからです。
私達は「礼拝式」(ワーシップサービス」の中で「礼拝」をします(ワーシップ)。そして、その場合の「礼拝」音楽を使い、歌う時間を指して話しています。
「今日のワーシップは油注がれていた」のようにしてその「言葉」を使います。しかし、音楽が礼拝でしょうか?ローマ書12:1にはこうあります。
「~あなたがたの体を神に受け入れられる、聖い、生きた供物として捧げなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 」どうでしょうか?
私の体を神に生きた捧げものとすることが、「霊的な礼拝」とあります。 音楽がなくても、「礼拝」はできるし、「主の臨在」を感じなくても、主が私から去った訳ではないのです。
「私は奇跡を信じる」と歌うことが、奇跡をもたらすのではなく、信じる信仰ですね。
使徒の働き2:42では「そして、彼らは使徒達の教えを堅く守り、交わりをし、パンを割き、祈りをしていた。 そして一同の心に恐れが生じ、使徒達によって、多くの不思議と記しが現れた」とあります。私達は祈りをとても重要なことと信じていますが、ここでは祈りの前に「交わりをし」と書いてあります。なぜでしょうか?
彼らは「宮」と「家」で集まっていました。宮で訓練され、家でそれを実践することです。私はここで一般的にある「ハウスチャーチ」という話をしているのではなく、使徒の働きでは「家」で多くのことが起こったと強調したいのです。 イエスは私達が「教会の日曜日の礼拝の時間」以上に、この世、暗いところに出て行って欲しいと願っていると思いませんか?
私の子ども達は、私達のホームグループでの解放や、悪霊の現れ、癒しなどを見て、体験しているので、証を持っています。
ですから、ある信者達が「自分達のこども達をだ大学に送ったら、無神論者の教授によって、無神論に改心させたれた」という事を聞きますが、そうではなく私達の家が、「使徒の働き」に出てくる「家」の様に、家の中で超自然な、しるしや不思議や奇跡を、悪霊がイエスの名前でおいだされていくことを体験させるなら、子ども達の証にとって、無神論の大学教授達が改心するでしょう。
「私はその様な悪霊追い出し、癒しはできません」と思わないでください。 あなたの家に必要のあるこの世の人々が送られてくるなら、あなたは経験によって学びます
House of Acts – Kris Vallotton
日本語動画:https://youtu.be/3y3S0LzpXmQ
日本語音声:http://www.onfirejapan.com/mp3/2018-2-27_KV_Message.mp3
English Video 英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/5110/house-of-acts-sunday-am/2017/12/31
English Audio 英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/house-of-acts