The Way Of Faith – Bill Johnson JAPANESE

同時通訳:相馬伸子

2コリント3:15〜18、4:4、4:13

信仰ということは、信者にとって当たり前になるはずです。信者ですから、信じる者たちですね、そして、信者の中に聖霊様がおられるなら、信仰を持つことは、私達の性質となっているのです。

信仰という言葉には、自力で何かを起こすとか、頑張って得ることなどのイメージがついてしまっているかもしれませんが、実際はそうではなく信仰は「神の言葉と御人格」に確信を持ち、信頼することです。

信仰がなければ、神を喜ばせることができません、そして、100人隊長や、フェニキア人の女の信仰はイエス様を驚かせたものでした。私達のする事が、神様を喜ばせるとは、なんと素晴らしい事でしょう。

2コリントの3章15節から18節の話をします。興味深いことは、覆いが取れてから主に人が向くのではなく、人が主に向くなら、多い派取り除けられるのです。思いが「覆われているのです」とありますが、主が求めているのは「頭で理解する」者ではなく、「委ねる心」を持つ者なのです。信じることによって、見えるようになるのです。

17節では「主は御霊です」とありますが、これは聖霊様が「主」であるということです。主の御霊のある所には自由がある、ということはただ、主の臨在がその場所にあるだけでなく、聖霊様が「主」として動かれることができる。思いが主に委ねられ、捧げられることによって主として、聖霊様が治めることで、自由が証拠としてそこにあるのです。

4章の13節では「私は信じた、それゆえに語った」とありますが、これはパウロが旧約聖書を引用していますが、これが神の言葉を信頼して、歩む信仰です。以前も話しましたが、大胆な信仰は、静かな信頼の上に建てられるものです。

英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4488/the-way-of-faith-sunday-am/2017/01/29

英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/the-way-of-faith