The Prescription of Joy – Bill Johnson
同時通訳:相馬伸子
イザヤ54章の所から 喜びに力がある事を話します。喜びほど力のあるものはありません。
「子を産まない、不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ、喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもより多いからだと主は仰せられる」
私達が霊的な真理を、自然界の原則で話そうするときには、自然界の原則においてそれが本当であることを知らなければなりません。
その事で、奇妙とも言える証があります。それは「僕のナイフを返して欲しい」といった、自然界の「紛失物や、壊れたもの」などを回復する神様の証です。そして、数週間前にニュージーランドにいた時に、ある友人の教会の女性の家に泥棒が入り、アイパッドなどを盗んでいった所、彼女は「僕のナイフを返して欲しい」のメッセージを思い出し、そのように、祈った数日後に、「僕はあなたの家からiPadを盗んだものですが、返却したいのであってもらえますか」と電話があり、カフェで待ち合わせたら「あなたのiPadの中に「僕のナイフを返して欲しい」と言うメッセージがあって、それを聞いて、返却しなくてはと思ったのです」と言ったそうです。驚きです。そして彼女はその人をカフェでイエス様の救いに導いたそうです。
主がイザヤ54章から教えていることはこのようだと思います。
不妊の女性は「イスラエル」や「教会」のたとえ話としてだと思いますが、例えば、彼女ともう一人の女性がそれぞれ夫がいて一人は不妊、そしてもう一人の女性は毎年妊娠して、出産しているとしましょう。
不妊の女性は「子ども」を主に願い、願ったら、答えを受け取る前に「喜び、期待し、叫び声をあげて歌う」事をするなら、自然の原則によって毎年妊娠して出産して10年の女の子どもより、超自然の原則で与えられるサイクルに入る「元不妊の女」の子どもの数は多くなるのです。ただ子どもが与えられるだけではなく、超自然のサイクルで、神様は先に出産をしていた女性より多くの子どもをあなたが出産するようにされます。それは「喜び、期待し、感情を用いて祝う」からです。
人間的に思うなら、答えを見る前に、喜んで期待して叫び声をあげて祝うことはおかしなことですが、神の視野から見るなら賢いことです。
「喜び」は感情ですが、クリスチャンとして歩むなら、感情を用いて主との関係を歩むことが必要です。神の御国は「平和と義と聖霊の喜び」ですから、2つは感情が含まれています。
箴言には「笑いは薬」とあるように、単純に笑うこと、喜ぶことです。残念なことにある人々は正直でありたいと思うのか、落ち込んだ感情を握り締めますが、喜ぶ事を選びません。
「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの天幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄の杭を強固にせよ」不妊の女であり、まだ祈りの答えを見ていなくても子ども部屋を作る事を神様が順番として教えています。
あなたがやりたい事をする前に、その祈り、願いに神様が応えるための場所を作ることが必要です。順番なのです。
あなたの人生の中で、最も「不毛」実がなっていない所はどこでしょうか?今それをあなたの目の前に握って、差し出してください。祈りましょう、そして、その祈りが答えられる前に答えられたかのように、具体的に何かをしてください。神様がそこに子どもを与えることができるように。