Mercy and Breakthrough – Eric Johnson JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
マルコ10:46〜54
このストーリーはイエス様の公生涯の最後の1週間の一部です。
もし、イエス様が私のようならば、この十字架で死に、よみがえる事で全ての人類に救いを与えるミッションをみて集中していたはずです。
でも、イエス様には「常に」群衆が追いかけてきた、という事実があり、数多くの休暇、リトリート、祈り会が予定にはなかったけど、群衆から人が出てきたので、そこで「奇跡」をイエス様が起こした事を見ることができるように、このバルテマイの話も「予定にはなかった」けど、というところです。
バルテマイは盲人でした、目が見えません。どうしてイエス様のことを「ダビデの子よ」とわかったのでしょうか?
パリサイ人は目が見えていて、たくさんの奇跡を見たけど「あなたが天から来た証拠を見せよ」と信じることが、見ることができませんでした。
バルテマイは「話を聞く」ことしかできなかったと思いますが、でもそれでも彼は「私を憐れんでください」と言えたのです。
なぜなら、彼は神が憐れみ深いことを知っていたからです。
あなたは、どこに主の憐れみを求めていますか? あなたの必要がどこにあり、なんであるからそこに主の憐れみを必要としていますと、はっきり主に申し上げたのはいつですか? 私たちは時にそれをする必要があります。
またバルテマイは叫び、群衆が彼を黙らせようとしたけ、余計に大きな声で叫び、結果イエスが立ち止まり、「あの人をわたしのところに連れてきなさい」と人を送ります。なぜ、イエスは盲人を、群衆の中を通って、イエスのもとに来させたのでしょうか?なぜイエス様が彼の方に行かなかったのでしょうか?
盲人のバエウテマイは、立ち上がり、盲人の印である上着を脱いで、歩いて、イエスのもとに行きました。
私達はイエス様が、こちらにきてくれないと文句を行っているかもしれないですが、もし、イエス様がこちらにいないと感じるなら、それはあなたがイエス様に向かっていく必要があるからです。
イエス様は「わたしに何をして欲しいのか」と聞きますが、わかりきっている質問ですね、盲人がイエス様のもとにきたなら、何を求めますか?
でも、彼は「目が見えるようになることです」と行って、その言葉の後にすぐ見えるようになり、歩いて一緒に彼らと進みました。
このストリーの最初にはバルテマイは盲人で群衆の横で座って物乞いをしていましたが、終わりでは見えるようになり、一緒に歩んでいました。
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4693/mercy-and-breakthrough-sunday-am/2017/02/05
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/mercy-and-breakthrough