同時通訳:相馬伸子
エペソ3:10
私の家族は2週間休暇でニュージーランドに行っていましたが、その間にも沢山祈っていたことがあります。
私達の教会の家族で2歳のオリーブが亡くなったことです。あれほど祈ったことはありませんでしたが、この2歳の可愛いオリーブが死から帰ってくることができる。
事を私達が教会として取り扱い、対処してきたかは完全に私達を覚醒させました。それは天が地にどれだけ近いのかという事です。
覚醒させられ、まるで今まで住んでいた3階から4階に引っ越したように私達の信仰のレベルを引き上げ、もう戻ることはできません。
今日は「新しいクリスチャン」という話をしますが、これは私の心に深く根ざしている事なのです。
例えば、映画の一部のように人々が集まり、食事のテーブルにいる事を想像してください。
クリスチャン、仏教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、無神論者などですが、この中で最も知性があり、憐みがあり、親切な人は誰でしょう?
私はクリスチャンが「もっとも知性があり、親切で、憐みがあり」のリストには入らないと思いますが、あなたはそのことで不快感や怒りを感じますか?
イエスと私達の人生には大きな淵、ギャップがあります。でも、私達がイエスが地上で生きたように今全く生きていないことは普通ではないし、変化が必要なのです。
イエスはもっとも清い、聖なる方でありながら、同情や憐みに満ちているのです。ですから、全く不敬虔で罪人であってもイエスと一緒にいたいと思い、それもイエスは決して彼らのような生活をすることはなかったのにかかわらずです。
イエスは私達がどのように生活するかを表す最善の模範です。
私達は「正しさ、偽り」「善悪」を知ることができますが、私達がこれらだけで生きるならば、全ての事を「善悪」「白黒」として見てしまい、その世界だけに住んでしまう。
しかしイエスは「全く正しく、全く善い方」であり「憐み深い」のです。
「善悪」だけを知っていて、憐みや同情が育っていないならば、簡単に「裁く」人になってしまう可能性があります、自分を正しくすることは「相手が悪い、罪を犯している」こと
によって、簡単にできるのです。
また神の事柄も、自分が理解できないことや、納得できないことは「自分が理解できるような形に変える」事をしてしまったり、拒否するのです。
エペソ3:10では「これは、今天上にある支配と権威に教会を通して、神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり」とありますが、これは「神の素晴らしい知恵、賢さ、知性、が私達信者、教会を通して地上で行われる」事を、私達信者が「特権と責任」として
与えられた事なのです。
2020年、新しいクリスチャン、それはグレードアップした クリスチャンという事です
宗教によって、神の全てを受け取ることができないと思わずに、私達にキリストの思いがある事を信じて、「信仰の確信、御言葉を知ることに成長し、憐みにも深く成長しましょう。」
The ideal Christian knows how to plug in and introduce heaven into
every situation. Eric Johnson addresses the importance of compassion. As
your conviction grows so should compassion.
Ephesians 3:10