「神の臨在の中に留まる安全」ビル・ジョンソン
Safety of Abiding in the Presence of God JAPANESE
詩篇91篇
私達が自分で決めるべきことがあります。
神の言葉より、メディやや他の情報の方からあなたが聞いているなら、その結果はあなたの責任になります。
イスラエルの民が荒野を出て、約束の地に入る間に、神が夜は火の柱、昼は雲の柱として現れましたが、それは神が周りの環境と反対の状況で現れたという事です。覚えましょう。コロナウイルスにはどう現れるでしょう。
イエスがすでに決定していることがあると信じています。それは解決をもたらすこと、状況を真逆にされることです。
もちろん、コロナウィルスは現実ですし、警戒はしますが、一割がウィルスから、9割りが恐れによって人々が影響されているように感じています。
愛と、恐れの両方を持つことはできません。
詩篇91
1節:「いと高き方の隠れ場に住む者、その人は全能者の影に宿る」ー 宿るということは「住む」ことです、「たまに訪れる」ことではありません。
全能者の影に宿るなら、それは時に「暗く」なります。影のできるところは暗いことがわかりますか?
また継続して神との関係を持つことが「住む」ことになります。
あなたが聖書箇所を知っている、暗唱しているだけではなく、実践すること、常に主の臨在を覚えることです。
ある証をしますが、私が昔よく買い物にいった店がありますが、そこは一般的なスーパーマーケットと霊的なものを売っている場所でした。
私はそこに入る前には、いつも立ち止まり、主の臨在を求め、私の上に主の臨在がある事を確認してから入店して、他の人と同じように買い物をしました。
でも、ある時に店主が「あなたが入ってくる時には何かが違う」と言ってきたのです。それは私が主の臨在が私の上にある事を求めて主が現れてくださったからです。
主はいつも一緒にいますが、そのように「求める」とこられるのか、または「私が気がつく」のかはわかりませんが、そのようなことです。
神は私達を守る、弁護する方だということが91篇から見ることができます。
1節から12節までは「主からの守り」のことが書かれていますが、13節からは「守られたものは守りに行く」ことが書かれています。
信者が自分の守りのことだけを求めてしまうならば、それは私たちの創造されたデザインの逆になります。
Safety of Abiding in the Presence of God – Bill Johnson
English Audio – 英語音声:https://www.bethel.tv/en/podcasts/sermons/episodes/557
English Video – 英語動画(要登録):https://www.bethel.tv/watch/8440