同時通訳:相馬伸子
ローマ12章2節
「創造主」である私は「被造物」であるものより少ない物質であることがない。
霊と言葉によって、全てが創造されたのなら、私達は「目に見える物質」でなければ力がない、何も起こらないという考え方から移行しなければいけないのです。
イエスに長血の女が触れた時「私の体から力が出て行ったのを感じた、誰が私に触ったのか」と言ったことを考えてください。
神の御国、天の御国は「あなたの近くにある「「手の届くところにある」と聖書に書いてありますが、神の御国、天の国も「物質」であることを信じる必要があります。
「神の国が近づいているから、悔い改め〜」とありますが、罪をやめるだけなら、完全な悔い改めではないのですね。
悔い改めは「考え方を変える」という意味ですから、罪をやめて、出て行くだけでなく、御心を行って、入って行く事が必要ですね。
今年を打ち破りの年として生きるの為の道具を渡したいと思いますがクリスチャンの人生は「自分に死ぬ」ことではなく「新しく造られた者」として、よみがえりの命を生きる事の練習、実戦だと思います。
ですから、その道具は「新しく造られた者」として自分を再定義する時であり、それが道具です。
どんなに努力しても、あなたは自分に対して信じていない事をすることはできないし、あなたが信じているように、あなたは変わるのです。
私は自分が義人であるという事を信じられず、葛藤していた時に「あなたは罪びとが正しい行いをした時に、義人とされるとおもうのか?」
と聞かれ「違います、主よ。罪人は正しい行いをしても、イエスを信じないと義人とされません」と言いました。
「であるなら、なぜあなたは義人が罪を犯すと、罪人になるように考えるのか」と言われました。
一生懸命努力しても、自分がそれができない、その価値がないと信じていると、受け取れない、できないのです。なぜならば、自分で自分と戦っているからです。
あなたがもし、もっと油注ぎを欲しいとねがっているなら、あなたがそれにふさわしい人だと信じなければなりません。
まだ準備ができていない、自分にはその価値がない信じて、いるならば、たぶんうけとれないでしょう。
しかし、王の子達であることを思い巡らせて、信じて行くならどうでしょう。
あなたは十分な価値があります、そして神様は全ての人を祝福し解放する事を決断しているので、ロバでも用いることができるのです。
ある時、「失敗したことを覚える為の祭壇をつくってはならない」と主に語られ、驚きました。自覚がありませんでしたが、主に「私の民には、勝利を覚える為の記念の祭壇をつくりなさいと命じている」と言われました。
私達は「勝利、成功や偉大さ」を覚える事をプライドと思って恐るかもしれません、でもプライドは「私が他の人より素晴らしい者だ」と思う事であり、「私は素晴らしいものである」と覚えることはプライドではありません。
失敗した事を「私は失敗者だ」という証拠にしないで、「成功者である私が失敗を経験している」と思いを変えましょう。
英語動画(要登録):https://www.bethel.tv/watch/7537