「苦難の中から神に賛美を捧げる事」ブライアン・ジョンソン
Offering God Sacrifice of Praise JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
箴言 1:33、エレミヤ 29:11
箴言 1:33「しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい。災いを恐れることもなく、安らかである」
「礼拝」について話しますが、典型的な若い男性がギターを持って、歌を歌うことは話しません。
今日は「賛美イベント」の間の時間、そこに着くまでの時間の話をします。
礼拝の心、それはへりくだった心で、「神が神であり、私達は人」であることを知っていることです。
アブラハムの礼拝、彼は神に従いました。彼の従順によって、山に向かいました。それは息子イサクを捧げよという事に従順するためでした。
なぜ、アブラハムがその様な事に「はい」と言えたのか?彼はその時点までに状況や苦難によって、神により研がれて、砕かれ、準備されていたと思います。
神様は、時間をかけました。アブラハムの事の時の決断、従順によって、大胆な従順によって、彼は「国々の父」になり、私達もほとんどが彼がいなければここにはいないでしょう。
ペテロは、大胆でよく話し、力ある者でしたが、主を3回、知らないと言ってしまうのです。自分には力と信仰があると騙されていたのです。
自分の家の子犬一人でガレージに残されてキャンキャン鳴くのですが、数日後には彼は自分自身で「置いていかれていない」事を発見して、泣かなくなります。
一人の時に、私達は思うのです「取り残されて、神様も一緒にいない」。でも神様は「あなたは大丈、安息して、リラックしてね」と言いますよね。
礼拝の歌を書く時、自分達はこの同じことを異なる歌詞で伝えようとするのです。
人生の中で自分一人の様に感じ、自分の選択でも、強制でも「神様しかいない」とわかることは賜物です。神様からの贈り物です。
その時にあなたのアイデンティティーは作られます。
ダビデも、そうでした。文句を言うことから始まっても、最後は賛美になるのです。
自分のことで始まり、神に焦点を当てることで賛美になります。
自分の父は、祖父がガンによって天に帰る事になった時に、こう言いました。
「天では痛みがない、だからこの地上での苦しみを抱きしめて、受け入れ、そこから主を賛美することは天ではできず、犠牲を払う生贄だ」と。
自分達の文化は痛みを避けるために色々なことをしていますが、時に痛みを神様が使って、私達を形作ります。
天の父も、タフな愛があります。それは私達が助けられず、試練の中を歩む時に、自分達でわかる様にする必要があり、父の愛は私達を賢くします。
Offering God Sacrifice of Praise – Brian Johnson
日本語動画:https://youtu.be/CZ5sFScTRro
日本語音声:http://www.onfirejapan.com/mp3/2018-2-22_Brian_J_Message.mp3
English Video 英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/5100/offering-god-a-sacrifice-of-praise-sunday-am/2017/12/17
English Audio 英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/offering-a-sacrifice-of-praise