神の喜びであるとの確信を持って生きる
Living with the Assurance That God Enjoys Us

IHOP(国際祈りの家)カンザスシティーのマイク・ビックルによるメッセージです。

Original English video: https://mikebickle.org/resource/living-with-the-assurance-that-god-enjoys-us-lk-15-4/

聖書箇所 ルカ15章、ミカ7:18 、ヨハネ17:23 、ヘブル10:19-20

ルカ15章には御父の例え話が3つあり、御父について聖書の中で最も深い啓示を3つも与えてくれる箇所だと個人的に思っています。
イエスは御子なので、御父の御人格について語るには彼以上に相応しい方はいません。御父は、民を追い求め、楽しみ、憐れみ、愛情を注いで喜ばれ、また強調されている真理は、御父はご自分の民が弱さの中にあっても愛し、喜んでいることです。 

神は私達、すべての人間に「自分が弱くても神の喜びでありたい」という強い願望を与えています。神がそのように人を創られたのです。 

ヘブル10:19−20にありますが、イエスの血潮によってのみ私達は大胆に、恐れなく神に近づくのです。しかし、人間は自分の良い行いで神に愛されようとします。これは宗教です。私たちは宗教の霊から自由になる必要があります。 

サタンはいつも信者を非難してきます。「お前は失敗者だ、偽善者だ」と。人間はその告発にすぐに引っかかってしまうのです。しかしルカ15章でイエスが語っている御父は全く違い、私達が弱くても、罪を犯しても、悔い改めて戻ってくるために愛と憐れみを注ぐ事を喜ばれます。 

放蕩息子のストーリは、息子が父のもとに帰ってくる話ですが、これはまさに御父が息子を回復するストーリーなのです。20節で、父が「見た、憐れんだ、走った、抱きしめた、口付けをした」という動詞が出てきますが、これらを覚えてください。思いめぐらせてください。息子を待っていた父の応答は、天の父の心です。 

そして息子は「雇い人の1人にしてください」と言おうと思っていましたが、これは父の心ではありませんでした。自分の仕事に相応しい給料をもらうことを彼は願いましたが、息子である彼に父は「一番良い上着と靴と指輪を持ってきて、肥えた仔牛を屠って歓び楽しむのだ」と息子としての立場をすぐに回復したのです。

日本語吹き替え:相馬伸子
日本語のプリントのリンク:https://docs.google.com/document/d/11riRHoknWOTotLx9S9MXhRktgtqjCYVHiLnn47YVLPA/edit?usp=sharing

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