ある興味深い見出しと短い記事を読みました。
「真の体(共同体、繋がる場所)を追い求めるのを辞めましょう。」というタイトルでした。
内容は、簡単に言いますと、どこかに完璧な人間関係、自分が所属するべき共同体があるはず!と言って、新しい場所を探し求めるのを辞めて、今、既に与えられている人々と一緒に、もっと深い関係を築く、それこそが真の共同体だという励ましの記事でした。
とても、考えさせられました。
教会の体、共同体は、まず、砕かれた人間の集まりです。
傷ついた人もいれば、いろいろな重荷を担いでいる人も居ます。そう言う人達が一緒に居ると、ぶつかること、傷つけあうことは、当たり前ですね。
ただ、その後、どうなりますか?
その関係に向き合う事をせず、逃げて、その人を避けますか?壁を造りますか?ある程度の距離を保てば、建前で付き合う事も簡単ですね?
それとも、7X77倍回 赦しあって、キリストに自分の痛み、恨み、妬みなどを委ねて、御霊にある一致を保ちますか?
完璧主義の社会の中で、自分の本音を相手に見せる事は難しいですね。
本心を見せたら、人はどう思う?
本当の自分のことを知ったら、人は拒絶するかもしれない。
最近、ある心理学者の講義を聞いて、本当に聖書の真理とそのままの話だったので、感動しました。
人間はみんな、幸せを感じる為に、深い、親密な人間関係を築く事が不可欠だと言う事を説いています。こころを開いて、つながり合う関係ですね。でも現実には、こころが開けない、自分の弱さをさらけ出してでも、本音を出して関係を築く事が出来ない人がとても多く、本当の深い絆を築く事は非常に難しいと言っています。
その心理学者本人も、研究の途中で、この真理に気づき、自分自身が弱さを人に見せれない性格だと言う事が分り、そのルーツを探ったりして行くうちに精神分裂症になりました。一年間の回復後に、研究を再開しました。
本当の絆を育むためには、自分の弱さを見せないといけない。しかし、こころを開いて、本音を出すためには、恥を捨てないといけない。本心を伝えたら、拒絶されるかもしれないという恐れを拭い捨てないと行けない。でも、育って来た環境や様々な状況の中で、恥や恐れを手放す事が出来ず、一生こころを開けない人達が居ます。配偶者にも、友人にも、家族にも。その人たちは、深い絆で結ばれた愛の信頼関係を築く事が出来ず、結局、傷ついたり、拒絶されたりを繰り返してしまいます。
彼女の研究結果によると、自分の弱さをさらけ出して、こころ開けれる人に共通している事は一点だと言います。彼らは、「自分は愛されている、受け入れられるに値する存在であるという自信」を持っている人だそうです。
つまり、愛されていることを自覚している人は、恥を捨てて、自分の弱さを見せることができる、それで他人が自分の事をどう思おうが恐れない、その結果、彼らは他人とさらに深い絆を育むことができます。
反対に言いますと、愛されている事が自覚出来ない人、自信の無い人、不安のある人は、こころを開いたら、拒絶されるかもしれないとの恐れを持っています。本当の自分を見せれない状態、いつも建前の強さ、うまく行っているように見せて、完璧主義などになり、深い絆はなかなか育めないのです。
じゃあ、その解決は?
一人一人が、天のお父さんの無条件、無限、そして完全な愛に満たされることです。
そして、その愛の中から、踏み出すこと。リスクをとること。
人に、自分の弱さを見せることです。
助けてください。
手伝ってください。
一緒に祈ってください。
特に、牧師やリーダー達が、このへりくだりの心をもつ必要がありますね。心から本音で語る事です。
傷つくことが増えるかもしれない、
裏切られる、拒絶されることもあるかもしれない。
しかし、こういう本音の人間関係を築かない限り、本当の聖霊様の一致と本当の教会の共同体にはなれません。
今週のチャレンジ、
祈って、聖霊様の導きによって、ひとりにでも、自分の心を開いてください。手伝いを求めてください。
「わたしは、あなたが必要です!」と言って、毎週でも、2人−3人で話し合いと祈り合いの時を持ってください。
そして、本当の聖徒の交わりの素晴らしさを味みてください!