1. カジュアルセックスでも愛を感じるけど、ほんの一瞬、一緒にいる一時間か一晩だけの親密な関係って、後で一人になってみると、虚(ムナ)しさは以前と同じようで、心は奪われたまま、空っぽなまま。…
2.
カジュアルセックスであっても、体の関係を求められると、自分は特別なもの、求められる存在だと感じてうれしくなります。でも、真実は、その時、彼が求めていたものは、セックスをさせてくれる相手。男たちは私が誰であるか構わないのです。私がただ、その時彼が必要としていた欲求の解放先として利用されただけです。それは特別な関係とは言えません、簡単に手に入っただけです。
3.
カジュアルセックスは気軽な関係だから、一瞬で、継続的(ケイゾクテキ)な影響なんてないと思いがちです。でも、深いつながりが記憶と魂の中にずっと残ります。それらを断ち切り、忘れ去るのに、時々長いプロセスが必要です。カジュアルセックスの誘いに、「イエス!」と答えるとき、そのあと一生続くかもしれない記憶や思い出、魂の絆について準備ができていますか?この人と、そこまで一つにつながる意味が本当にありますか?
4.
カジュアルセックスは私たちの価値観に影響を与えます。カジュアルセックスは安くて、簡単に手に入るもの。私達は自分のセックスをとても安く「売る」のです。でも本当は、私たちには計り知れない価値があります。私たちはあまりにも大切な存在で、本物の愛を受ける価値があります。たった一人の男性が、生涯をかけて壊れることのない絆の中で、聖なる誓約を持って私たちに愛を誓うべきです。私は若い頃、カジュアルセックスを楽しんでいましたが、この真理に気付いたとき、本物の親密さを持てる男性を待つことにしました。
5.
カジュアルセックスは私達が思っていたよりもっと自分を空っぽにします。私は1年間ぐらい毎日泣きました。その涙は私が自分のアイデンティティとして受け入れた嘘を洗い流しました。その嘘とは、私がひどい扱いを受けたり、元彼氏が言った言葉を通して受け入れてきた数々の嘘です。私の涙を通して、神様の真理は私を洗い流し、私のアイデンティティーについての嘘を洗い流してくれました。