同時通訳:相馬伸子

エペソ4:26、27、ピリピ4:8、ヘブル12:14〜17 

私が今まで遭遇した人の中で、私を恐れさせた5人の人達がいます。彼らは全て「苦味」の霊に所有されていました。殺人を犯して投獄されていた人です。
苦味の霊は赤ちゃんの状態の殺人の霊です。その時は、小さくても成長すれば、その事を実行します。

苦い根を持つことは過去の痛みや悪い記憶にしがみついてしまうことです。今に生きることができない材料になります それは、あなたの内側を汚して、周りにもその汚れが影響します。

もし、私達が本当に赦しを受け取るのにふさわしくないのに、神の恵みと憐れみによって、赦されていることを知ったら、苦味や許さない心を持つ人がいなくなるでしょう。
私達は自分が赦した分だけ、赦されるのです。主の祈りで「彼らの罪を赦すように、私の罪を赦してください」と祈ります。

苦味はあるグループでは「霊を見極める」事であるとされ、普通のこととされていますが、苦味は人の人生を壊す事のとして、私が考えている3つの罪の一つです。
それらは、薬物乱用、性的不品行、苦味を持ち続ける事です。 

でも、赦す事は、自由をもたらす事が出来るのです。赦すことは決してあなたの経験した虐待や、ひどい経験が悪くなかったとするものではないし、信頼は与える事の選択があります。 
赦さないことは、相手が毒で影響を望んで自分が毒を飲み続けるようであり、自分が汚され、周りも汚染されます。 

赦し、悔い改めをした後には、「実」をならせることが必要であり、そうでなければ、「考え方・哲学」として真理を扱っていることになります。
ですから、内側での変化が、外側に現れることです。霊的な所で起こる決断は、自分の態度や行動、自然の領域で現れるはずです。 

私達が赦した人達に何をすることが必要でしょうか、祈りや、手紙を書く、プレゼントを贈る、そういったことがもしれません。私も私に対して反対する人達がいますので、その人達を赦し、祝福する祈りをします。私に敵対するような信者のリーダーであっても、その人達も「贖われている」のです、同じ主に仕えているので、私にはその人を主に訴える権利はありません。 

以前カウンセリングをした時に、10年前の出来事で怒っていた妻に夫が悔い改めをして、1週間後にまた話をしましたが、その時夫は「〜や〜をしました」という実がなったにもかかわらす。
妻はそれを見ることができませんでした。苦い根によって、汚され、盲目になり、原因は夫のしたことであっても、自分それを問題にしてしまったのでした。 

私は最近、この苦味を周りで感じたり、見たりします。私達が心を尽くして、奉仕する時に、自分の願っていることの故にそれに反するように働きに苦味や妬みを持たないことは難しのですが、私達が影響を持つ場所に主においていただくことを願っているので、苦味を持つことはできません、それは無理です。状況や問題を見て怒りを感じるとしてもそれは「贖いの視野で問題解決」をする為です。

英語動画(要登録):https://www.bethel.tv/watch/7488
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/forgiveness-brings-liberty