Meditating On God’s Word – Leslie Crandall JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
詩篇 27篇、2コリント 10:3
神の言葉を思い巡らせる事は「スローダウンしてゆっくりと神の言葉を噛む」ことです。
私達の文化は全てが早いペースです。でも私達は神の言葉を立ち止まって、考え、深く思考する事を学ばなければいけません。自分達の為だけでなく、子ども達に教える事ができる為です。この社会はメディアの力が非常に強いので、意図的に「静かに・音のない所で・神の言葉を思い巡らせる」事をしなければならないのです。
イエスキリストは「言葉は肉を持って私達の所に来られた」方です。イエスの言葉、聖書の言葉に人生の全ての解決があります。しかし、聖霊とともに読むことで人生に変革がなければ、暗唱聖句として「そう、その言葉を知っています」で終わるでしょう。御言葉を読むだけでなく、行う者になりなさいとヤコブ書が教えています
「神の言葉を思い巡らせる」事をベテル教会のミニストリースクールで詩篇26篇を用いて教えました。
5ヶ月前に私の腕は突然麻痺して、足と顔にも麻痺が現れました。医者は手術を勧めましたが、私は恐れませんでした。
それは、詩篇27篇を私は思い巡らせていたからです。「主は私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。」
多くの著名の癒しのミニスターが祈ってくれましたが、打ち破りはきませんでした。私の娘の友人の小学生が預言的な絵をくれましたが、そこには「あなたは何もおそれない、神が共にいるから」と書いてありました。それを鏡台にはり見つめていました。
神の言葉が、最も力強い権威を持っていることをあなたは信じていますか?私達は意見があっても、神の言葉以上に力を持つ意見はないのです。神の言葉を思い巡らすことは、神を拡大するというか、神をよりよく見る、知ることになります。5ヶ月前は、1日4時間しか働くことができませんでした、しかし今はこのように腕を曲げ、拳を握ることができます、勝利です。私は恐れません、なぜなら、主が「大丈夫だ」と言ったことを私は聞いたのです、そして神の言葉を信じるなら、信頼するなら、恐れることはできないのです。
私はまだ完全に癒されてはいませんが、安心しています。主は人ではないので、嘘はつけないのです。
私達は、素早くやってくる打ち破りを祈り求め、好んでいます。でも、「神の言葉を思い巡らせる」事で打ち破りがきます。キリストの体の中にもう一度、神の言葉を思い巡らせる事に飢え渇きがくることを祈ります。
2コリント10:3を読みますが、私達の戦いは血や肉ではないのです。でもこの箇所を知らないと血と肉と戦ってしまうことがわかりますか?
イエス、生きている神の言葉は私達の要塞です、強い避け所であり私達が走って逃げ込むことができるのですが、同時には私達は「要塞を壊す」こともできるのです。私達の思いは風船のようにふわふわと浮いていて、それをしっかりと掴み、引き降ろすことができます。
英語動画(要登録):https://www.bethel.tv/watch/7670