私たち皆は、世に仕えるために召されています。
皆さんは、もうすでに素晴らしい奉仕をしていると思います。
今日は、皆さんが更にうちにある神様の素晴らしさを多くの人にシェアすることができるように、励ましたいと思います。
今日は、二つの質問:どこで、そして、どうやって世に仕えるかを考えましょう。
まず、どこで
イエス様が昇天される直前に、弟子たちに言われました:
使徒の働き 1:8 「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
簡単ですね。
エルサレム:自分の町、自分の身近な共同体、家族、友人、会社の同僚、学校の同級生、近所の人などですね。一番よく会う人。
ユダヤ:自分の国、同じ文化のある人、同じ言葉の人、誰でも。
サマリヤの全土:自分の文化と違う人、もしかしたら、互いに少し偏見、差別のある人、普段はあまり関わらない人、自分の中に抵抗があるかもしれない。しかし、そこにも、私たちは遣わされています。
そして、地の果てにまで:全然違う文化、言葉も、生活も全然違う人。実際に行かない限り、多分会えない人ですね。
もちろん、文化だけではなく、地理的な意味もあります。私たちは皆、ある程度、この全部に関わることができます。最近、世界も、日本もグローバル化され、地元にこのサマリヤ人、地の果てからの人も集まっています。
びっくりするほど外国の人があなたのすぐそばにいますよ!
そして、ある人は、実際にサマリヤのような地域、また地の果てまで引っ越して行くでしょう。
あなたはどこに遣わされていますか!?
忙しいお母さんでも、自分の家族へ、公園で出会う他の子連れのお母さんたちへ。PTAで役員が一緒のお母さんへ
会社員、同僚へ、上司へ、部下へ、
学生、先生へ、同級生へ。クラブ活動の仲間へ
病で寝たきりの人であっても、福祉、医療関係の人、病院のスッタフや、同室の患者さんにも神様の愛を示すことができますね。
聞いた話ですが、ある老人のクリスチャンは、末期の病気で入院している間、死ぬ直前十数人の親戚、病院のスタッフ、医者と看護師などをイエス様に導きました。
問題は場所や地理的なものではなく、私たちの思いの中にありますね。
つまり、多くのクリスチャンは、福音を伝えること、御国を運ぶことは特別の資格のある人だけの仕事だと思っています。
安心してください!
あなたは、遣わされています!イエス様が中に住んでおられるので、準備はできています!資格は与えられています!
イエス様があなたと共にいます!
では、どうやって世に仕えるのか?
方法とツールが沢山あります。後ほど色々なアイディアもツールも紹介しますが、
まず、何よりも初めから、終わりまで、愛ですね。
唯一の動機、唯一の理由は愛です。
私たちがイエス様の愛に留まることが一番必要です。神様の愛の満たしから人に仕えることでなければ、何の役にも立ちません。
そして、その愛は、無条件です。
私たちが神様の無条件の愛の器としてこの世に遣わされています。
無条件なので、人を裁くためではなく、
人を信じさせて、キリスト教の信者にするためではなく、
人が私たちの団体に入団するためでもありません。
ただ、聖霊様の導きによって、人が神様の素晴らしい愛を味わい、それを受け入れるように、招くだけですね。
ここには、大きな安心があります。愛は決して失敗しません!
1コリント 13:8「愛は決して絶えることがありません。」が書いてありますが、英語の直訳は、
「愛は決して失敗することがありません。」
あなたが世に仕えるために出て行って、初めから、終わりまで、動機、全ての上にあるのが愛なら、失敗はできません。
例えば、
人に福音を伝えても、誰も話を聞いてくださらなくても、愛があるなら、失敗ではありません。
すっと、導いてきたその友達が神様からも、あなたからも離れてしまう。しかし、もし愛があるなら、失敗ではありません。
病気の人のために祈ろうとして、例えばその人が祈りを拒むか、または、祈っても期待した通りに癒されなかったとしても、もし愛があるなら、失敗ではありません。
もちろん、やり方、祈り方、信仰の中には、いくらでも成長することもできるし、改善もできますが、もし愛があるなら、失敗することはできません。
拒絶されることはあります。
癒しのために祈っても、癒されない時もある。
預言を伝えても、間違えることもある。
しかし、全てを愛によってすれば、失敗することはできません。
皆さんは、既に神様の愛によって多くの人に関わっていると思います。
今日は、更に。
あなたは、生きて、この地上を歩き回る「天のお父さんのラブレター」です。
人は、神様の愛をあなたの人生を通して読んでいます。
私たちは皆、疲れます。自分の愛が足りないと感じます。
また、人に仕えること、福音を伝えることは義務だと考える人は、やっぱり疲れます。
義務でもなく、お仕事でもない。
あなたが持っている希望を分かち合う特権ですね!
自分の愛、自分の力が足りないと感じたら、大丈夫です。自分の愛ではなく、あなたの内におられるイエス様の愛です。
イザヤ 40:31「主を待ち望む者は新しく力を得ます。」
じっくりイエス様の臨在に留まリましょう。毎日!そして、必要な愛を愛の源であるイエス様からいただきましょう。
気をつけてください。
イエス様の愛に満たされ、その愛から人に仕えるのでなければ、私たちは、喧しい宗教者になりえます。
今日は、この二つの質問、どこで、またどうやって人に仕えるかを考えて、祈って、聖霊様の導きをいただきましょう。
- あなたのエルサレムとユダヤを定義して下さい。
- その場所にいる一人一人を考えてください。その人への神様の愛を受け取り、神様の目を通してその人を見てください。自分の疲れ、絶望、失望、傷などを全部イエス様の愛に変えていただきましょう。
- どうやって、その人に神様の愛を示すことはできますか?言葉よりも、行動ですね。
- あなたにとって、違う文化のサマリヤや地の果てを定義して見てください。神様には新しい場所へ導かれていますか?もしかしたら、実際に地の果てへ行くように言われるかもしれない!あなたのすぐ近くの、異文化の人かもしれない。
今週は、皆さんが、多くの関わりの中に、神様の愛を示し、伝えることができるように、祈っています!