Stepping through the Door of Jesus – Dawna De Silva JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
ヨハネ14:5〜11
私達には、父なる神がなぜ、必要なのでしょうか?それは私達は父によって「アイデンティティー」を受け取るからです。
もちろん、神様は三位一体の神様であり、イエスに祈っている時に父も、聖霊も聞いている事をもちろん知っていますが、なぜ、私達には父なる神が必要なのでしょうか?
イエス様がパブテスマのヨハネによって、水の洗礼を受けましたが、その時には天が開け、鳩の形をして聖霊が下り、天からの聞こえる声で「これは、私の愛するこ。私はこれを喜ぶ」と言われました。イエス様がこれを聞くことが必要であったなら、どれだけ私達に父から自分達が誰なのかを聞くことが必要であるはずです。
私達は「孤児の霊」を対処しなければ、なりません。多くのクリスチャンがSozoのミニストリーの為に私達の所にきます。罪との葛藤や、痛みがありますが、根は「孤児の霊」です。
「自分が守られていない、助けを受けられない」というのが、孤児の例の印ですが、弟子達からもそれを見ることができます。例えば誰が一番偉いかを討論したりしています。
クリスチャンであっても、日々父なる神との関係を作ることがなければ、孤児の霊を持ったまま、解決しないクリスチャンであることが可能ですし、教会の中には多くの孤児の霊を持ったクリスチャンがいます。
天の父のところにイエスによって導かれるなら、父は私達にアイデンティティーを語り、必要を満たしてくれます。イエスは天の父を完全に現し、代表した人です。Sozoの働きは天の父の所にイエス様を通していくことです。ある人たちは、地上の父によっての恐れや、傷でイエス様のところで止まっているのです。または、自分達の生き方が、神の御心にそっていないことを知っているので、父なる神には近づけないと思っていますが、もちろん罪はやめるべきですが、私達が清くなったから父の元に行けるのではなく、父の元にイエス様によっていくことによって清められるのです。
天の父の所に行くなら、私達の人生の本当の必要を満たしてくれるので、それは罪から自由になる、中毒や非聖書的なライフスタイルから私達を解放することになるのです。私達が、天の父を世に紹介して、まだ清くない人でも、イエスを通して父の元に行けるなら、父なる神様は解決に必要なことを語り、人々は自由になるのです。
日本語動画:https://youtu.be/jUpBeCi1XtQ
日本語音声:http://www.onfirejapan.com/mp3/2016-12-28_Door_of_Jesus.mp3
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4437/stepping-through-the-door-of-jesus-friday-pm/2016/10/28