マイク・ビックル著書「預言の賜物の中で成長する」から

1990年の夏のある土曜日の朝、私は個人的に天使の聖歌隊の歌を聞きました。私はリバイバルのための祈祷会に出席するために教会の講堂に到着しました。車から降りて建物のドアに近づくと礼拝堂から非常に大きな音楽が聞こえました。サウンドチームが、ヘンデルのメサイアのような壮大な曲を音響設備を通して、非常に大音量で流しているのだと思いました。あまりの音量に、音響設備に悪影響を与えるのではないかと心配して、私は礼拝堂に駆け込みました。

その扉を開くまで、この素晴らしい音楽は流れていました。ところが、私が礼拝堂の扉を開くや否や、誰かがステレオの停止ボタンを押したかのように、輝かしい音楽は即座に止みました。驚いたことに、内部の音響設備の電源はまだつけられておらず、2人の男性が部屋の前方にいて、祭壇にひざまずいて祈っていました。彼らは何も聞きませんでした。私はたった今、聖霊と出会ったのだと気づき、びっくりしました。

その後の集会では、そのことを誰にも話しませんでした。ですが私は、確かに主が訪れてくださり、特別な力でその集会に臨み、祝福してくださるであると期待していました。それが神が私に天国の音楽を聞かせてくれた理由であるに違いないだろうと。しかし、驚いたことに、それは私たちが毎日行うような、いつも通りの祈祷会でした。壮観なことは何もありませんでした。いつもの、疲れているけれど誠実な信者たちが早朝にリバイバルを神に叫び求めていました。

その後、私はこの体験が何を意味するのかを考えました。それから主は私に、か弱く、それほど油もそそがれていないように見える、そのような「普通の」毎日の祈祷会が、いかに祝福されたものであるかを明らかにされました。天国の御使たちは定期的にそのような祈祷会に出席し、目立たない、人の目にも止まらない私たちの弱い祈りと賛美を彼らの強くて輝かしい天国の音楽、礼拝、祈りと混ぜ合わせています。天使の聖歌隊は、私たちの地上の祈祷会と協力して、常に霊界で機能しています。この経験は、神が「乾ききった」執り成しをすることの重要性を見たとき、私の信仰を築き上げました。