Format: et-post-format-audio

「目的のある繁栄:宣教」ビル・ジョンソン

「目的のある繁栄:宣教」ビル・ジョンソン

マタイ28:18、20 使徒8:1〜8  ベテル教会で、今年1年で1億円以上の献金が世界宣教の為に捧げられましたが、これは急激な成長、変化です。また、この教会に集う為に色々な場所から引っ越してきた方達がいますが、それは私達にとって感謝な事です。私達は家族であり、部族であり私達の頂いた好意は分与され、うつり、広がって行く物です。恵みで与えられた好意を用いて行きましょう。 使徒の働き1章では「地のはてまで私の証人となる」とありますが、8章で信者は迫害が起きるまではエルサレムに留まっていたのです。イスラエルの民が黄海の水の壁の間を歩くのには彼らの背後に迫っていたパロの軍隊が大きな動機となったでしょう。悪魔を恐れないで下さい、神は悪魔をご自身の計画の成就の為に使う事ができます。チェスの駒のようです。悪魔は神の敵ではなく、神の前に立ちはだかる事ができる「敵」は存在しません。神は人を悪魔のいる地上に置き、人によって悪魔を打ち負かそうとしました。人は失敗したけれど、イエスが悪魔に勝利し、その勝利の中から私達人が主の勝利をもって、地上を奪回する、治めるようにされました。 全ての人は「出て行く」「祈る」「捧げる」事が宣教の為に召されているのですが、全員が出て行ける訳で無い事も知っています。しかし、私の願いは皆さんが主に「私が自分の所有とするべきな国、地域は何ですか?」と祈り、受け取り、その為に祈り、捧げる事を実践してもらう事です。私は多くの経済を、収入が少なかった時にも、地方教会、宣教、貧しい人に与える事の為に必ず決めて捧げ、それを守り続けてきました。それらは全て永遠の為に使われていて、決して無駄になる事は無く、後にその結果を見る事ができるのです。場所や宣教師をそれぞれが「養子縁組み」する事をしたいのです。皆さんが偉大な経験をするためというより、皆さんの心の中に主とのパートナーシップをもつ道を造ってもらいたいのです。 ある方が言いました「一番遠くまで届いている光の一番明るい所は光のある所である」。時に人々は「まず、自分の家、地域に良く福音を伝えたら、世界に出て行こう」と言ってしまいますが、これは神の計画を自分たちの考え方にあわせて縮小させているものです。ダビデはバテシバの夫ウリヤを姦淫の罪の証拠隠滅の為に戦いの最前線に送り出して、他の軍隊を撤退させて殺しましたが、もし私達が宣教師を前線に送り出し、自分たちが撤退するならそれは同じ事ではないでしょうか。

続きを読む

「永遠の希望」ビル・ジョンソン

「永遠の希望」ビル・ジョンソン

ローマ8:18〜33  私達は心を守る事が大切です。それは、落胆や失望から心を守る事は、希望を見る事、希望の声を聞く事を助けるからです。18節にあるように、今の色々の苦しみはこれから解き放たれる栄光には比べられないくらい小さいものです。その事を自分の心に言ってください。 時に祈りの答えを得るために時間がかかります、時には祈る前にまるで答えを受け取っているような事もあります。信仰は答えを得させますが、忍耐する信仰は人格を育てます。答えが遅くなっているなら、あなたの利息が増えている様なものです。あなたの益です。 しかし、私達が祈りの答えを「このようでなければならない」と決めつけてしまう事があります。多くの場合はとても重要であり、自分の大切な事柄に関してですが。その事によって、神様を独房に閉じ込めてしまうようなことであり、それによって、他の人生の分野で答えられている主からの打ち破りを見る事を妨げてしまいます。私達は主の心、願いを知っていますが、成就される過程は分からないのです。ですから、28節が必要なのです。栄光から栄光に移されてる間に私達が養われるためです。 新しく信者として神の国に生まれた時に、聖霊が私達の内に来られた時に、それはイエスを死からよみがえらせた力が私達の内におられるという事です。それは私達に永遠との繋がりを与えます。永遠に神との和解の中にいる事が保証されたのです。私がどのような者かではなく、私の中におられる主がどのような方なのか、それが私の希望です。

続きを読む

「遺産を生み出すのは希望」ビル・ジョンソン

「遺産を生み出すのは希望」ビル・ジョンソン

ローマ4章  最近私は「夢のリスト」を新しくしました。皆さんにも夢がありますよね。それらのすべての夢は神様であると思います。しかしその現れ、見え方はそれぞれ異なります。 ある方がレバノンでクリスチャンテレビ局をする夢をもって、レバノンに移りましたが、直後国の状況は変わり、全ての機会のドアがしまり、結果的にテレビ局ではなく、福音を通信教育のようにして伝える事が開かれ、霊的に暗い地域で福音が爆発的に広がりました。 彼らはテレビ局をレバノンで始める夢がありました。動機は福音を伝えるためです。形は違いましたが、目的は達成されました。夢はまるで神様が住む事のできる不動産、家をつくり出す様に働きます。また、その夢も何が霊的、世的という用に分類しないでください。神様が中心にいれば全て霊的な事であり、聖書はそのように分類していません。実現可能の夢もあるでしょう、でも語るのが恥ずかしいと思う様な「不可能」を感じる夢もあるでしょう。でも、夢を神の前に出して、その夢に神の息を吹きかけていただきましょう。 ローマ4章でアブラハムの「望み得ない時に望みを抱いて信じた」とありますが、このような伝染する希望、周りに影響を与える希望は 神の約束を引き寄せます。神は良い管理人なので無駄にはせず、種が育ちやすい所を求めています。 アブラハムの持っていた希望はただ願うだけでなく、神の言葉、約束を握り締めて、期待する事でした。 ただ漠然と願っているなら、否定的な現実がやってくる時に立ち続ける事は容易ではありません。

続きを読む

「街を回復する者が繋がる」ビル・ジョンソン

「街を回復する者が繋がる」ビル・ジョンソン

イザヤ61:1〜4  イエスはご自分の働きの事を1節から3節でシナゴーグでユダヤ人に宣言しました。ルカ書で見る事ができます。イエスが来たのは病人、砕かれた人々、壊れた人々の為だと言いました。そして、ユダヤ人達にあなたが自分が病人だと謙って認めるまで私はあなた方からは価値がないものですねと言ったのです。 偽の成熟さは定義や考え方はあっても、経験と感謝の心が無いのです。しかし神様は人々を成熟される為に動いています。そして、私達が聖さについて考える事も変化させてくださっています。 心が傷ついたもの、心身の病がある者、「壊れた者たち」が「街を再建する者達」なのです。彼らは「義の樫の木」になるとあります。樫の木は強く安定しています。 不安定な者が安定した者となり、最も弱いものが最も強くされる。弱さや失敗が成功に留まる事をさせます。 私達がどのように「壊れた人達」に価値を見いだすのでしょうか?取り扱うのでしょうか?人が救われた事を「信仰を持って信じる」事を私は必要としていました。 人が救われた時に、私達はインスタントに人が信者として成長すると勘違いしてまるで赤ちゃんを大人の用に見ている事があります。赤ちゃんが歩く事を練習する時に 両親は2歩歩けた事を喜ぶでしょう、3歩目に転んだ事を叱ったりすることはないですよね。 ある時 魔術師だった数人の人が預言されて、救われ、聖霊を受けました。そして、すぐ「自分たちは何をしたらいいんだ」と聞かれ、教会のスタッフが自分に預言してと お願いしました。それがこの「元魔術師」だった新しい信者の知っているクリスチャンの教会の全てでした。彼らは、知るはずも無い聖書を引用して預言したのでした。 この神の家族の生まれたての信者の皆さん、最初のステップを踏み出す事許可を与えます。そして、それ以外の方は父母として励まし、教えて行きましょう。

続きを読む

「愛があなたの割当です」エリック・ジョンソン

「愛があなたの割当です」エリック・ジョンソン

マタイ22章33〜40節 1コリント13章 「愛」は全人類が切望しているものであり、もし私達が理解して、しっかりとつかまなければ、一生ほかのもで埋めようとしてしまうものですね。マタイ22章でイエスがパリサイ人の律法学者に「一番大切な戒めはなんですか」と聞かれて、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くしてあなたの神である主を愛せ」そして2番目は「隣人を愛せ」といったのですが、多くの事をこの2つがまとめていますね。 私たち信者は愛の事を聖書で知り、自分たちが愛するべきだから愛するという側面もありますが、それだけではなく、頭からの愛、理論的に正しいから聖書的に正しいから隣人を愛することではなく、もっと深い所心から隣人を愛せる様に神様に願う事をするべきだとおもいます。私は子供が生まれてきた瞬間に自分の中にあった「自分の子供が生きる為に自分は死んでもいい」という愛が目覚めました。これは、論理的でもなく、理解されない様な心からでてくる愛です。 多くの場合、私達は隣人を選択できません、時には愛するのが簡単な人でしょう、でも時にはあなたを憎む人や神を憎む人かもしれません。私が最近危機感を感じるのは神を非常に愛しても、人を愛さない人に会う時です。私自身こういう人にあうと「神様、私の愛する能力、許容量を広げて下さい」と祈ります。 時に私達は、自分に対しての主の願いが何かという事を求める事に時間を費やしすぎていると思います、私が気がついたのは、神の願いは私が隣人に対して何かする事なのです。その隣人が1人のなら神の願いはあなたがその一人に対して何かする事、その隣人が群衆ならその群衆にあなたが何かすることだと思います。 マタイ22章から私はこういいます、「一つの目で神様を見て、もう一つの目で人々を見る」。人生でシンプルな導きを求める時に、この原則をぜひ用いて下さい。主に求めて下さい「主よ、私がもっと人を愛する為の許容量を広げて下さい、あなたにその為の許可を与えます」

続きを読む

「信じる為に見る事」ビル・ジョンソン

「信じる為に見る事」ビル・ジョンソン

創世記 15章、30章 マルコ8章、ヘブル11:24〜26  今日は「見る事」の話しをします。信仰は現実が無い事ではなく、かえってより優れた偉大な現実がある事を信じる事です。目に見える物は一時的であり、目に見えないものは永遠であるとパウロは言っていますが、私達は信仰によって神の全ての領域に対して働く解決、満たしを引き出す事ができるのです。 マルコ8章で弟子達にイエスは「見えないのか?聞こえないのか?覚えていないのか」と聞いていますが、これは「想像する」ことではなくすでに弟子達とパラレルにある、見えない領域にある事を見る様に教えていたのです。ですから、見る事は信仰と深く根を指しています。 ヤコブは家畜がさかりがついた時に、彼らが見える様にまだらに皮をはいだ枝を地面に指し、結果としてぶちやまだらの家畜が増えたと創世記30章で見る事ができます、これは「私は私の目が見ている物を増加して生み出す」という事です。 ヘブル11章「目を離さない」事は、何千の声を拒否して、ただ一つの声、イエスの声を聞く事ですが、これは頑張りや熱心な働きからすることではなく、委ねきった関係からできることです。気楽な関係ではなく、心ではっきりと「私は他の声を拒否し、ただ一つ主の声だけを聞き、価値を置く」事です。

続きを読む

「小川から大河へ」エリック・ジョンソン

「小川から大河へ」エリック・ジョンソン

ルカ9:46〜50  ダビデとソロモンの時代の違いは何でしょうか?ダビデは戦争で侵略し、人を殺し土地を得ていきましたね。しかしその息子ソロモンは結婚をする事で、平和的に父ダビデが所有した土地の上に街を造り、社会ができました。この2つの時代の大きな意図的な変化を想像できますか?ダビデの時代の文化のエキスパートであった人は、ソロモンの時代には全く異なるやり方をしなければ、いけなかったのです。そのように、ここベテル教会、私達も今ソロモンの季節に既に入っているのです。 教会で使う言葉として「流れ」という言葉がありますね、これは自分達のグループや同じアイデンティティ、文化、土台的な価値をもつ者達をまとめて読んでいると思うのですが、今主が私達を導いている事は、この「流れ、小川」を「大河」に加えていることです。川の事を考えると、川には規則やガイドラインはなく、めちゃくちゃのようでも、「同じ方向に進んで行って、命がある」という事はあるのです。私達「小川」は「大河」に流れ込んで行きます、これは自分達の為ではは無く、私達の王イエスとこの世の為です。ですから、今私達が必要な変化は「同じ文化、土台的価値」を持たない「小川」を問題にせず、自分の持っている文化、土台的価値を握りしめることです。 ルカ9章46〜50では弟子達がエリート主義の考えを持った時にイエスがそれをすぐさま殺している事を見ます。弟子達は自分たちをエリートの様に、一番偉いものとして見たからです。しかし主は「あなたがたに反対しない者はあなたがたの味方です」と言われました。自分の文化や価値が他の人のものより優れていると思うなら、それはしたくなくても私の文化価値間が一番良いのだから、それでやってやろうとする操りになります。それは私達のする事ではありませんね。私と妻はここ数年、私達の教会とは全く異なる様な土台的価値、文化をもった人達と関係を作る事の中にいます。彼らは私達と同じ文化や土台的価値は持っていませんが、それでも私達は関係をたて上げる事を望んでいます。 コネクティブティッシュとは体の中でそれぞれの器官をつなぐ組織を言いますが、私達の間にも知恵やコネクティブティッシュを祈り、求めて行きましょう 

続きを読む

「一つになる事の力」エリック・ジョンソン

「一つになる事の力」エリック・ジョンソン

ヨハネ17:20〜23、使徒2:1、4:32 時に私達はリバイバルが起こると、大きく成長すると家族、共同体の繋がりがなくなってしまうと思ってしまうかもしれませんが、私はそのようには思いません。「リバイバル」という事と「家族」「共同体」は切り離される物ではなく、これらは一つです。 「一つの心、一つの思い」や、「一つである」事は御国のなかで非常に重要な事です。また、イエスも祈っています。イエスが祈った事は大切な事だということは分かりますね。 使徒4:32を読む度に私の心は探られる感じがします、私達、西洋の文化とは非常にかけ離れているからです。私は自分の物や物を所有する事を楽しみます。趣味の事の中では私はコレクターの性質を持っているようです。ですから、「全ての物を共有し」という箇所はひどく私に迫ってくるので、あまり読むのは好きではないのです。そのような理由で、飛ばして読んでしまう聖書箇所がある人はいますか?私だけではないですよね。 物を所有したり、集める事が好きな私ですが、自分の子供が生まれた時には、その優先順位が全く変ってしまいました。子供が生まれるのと同時に、「この子供が私の人生で非常に重要である」という強い愛が生まれてきました。その愛は「真実な愛」であり、義理や評判を気にするものではありません。 ベテル教会の家族や、皆さんに質問があります。「あなたは人生を誰と生きていますか?」時に、自分は誰もいりません、神様と自分で十分ですという方に会います。虐待など、ある種正当に見える理由を見せるのですが、私達は神のデザインとして人と神と生きる様にされています。あなたは自分の心を開いて、正直に、自分が最も落ち込んでいる時、助けが必要な時に、一緒に歩む人を持って下さい。自分の調子が良い時だけの関係ではありません。 あなたは神を憎む人を愛する事ができますか?ダニエルはネブカネザル王、神を憎む邪悪な王に仕える為に送られました。神を憎む人を、聖書に従順するだけの意味で愛するではなく、心から誠実に愛する事を主が私達を導いてると感じます。その様な愛を持ち歩む事は私達の新しい開拓地だと信じています。これを実践する時に、宗教、権力争いの霊が分かるでしょう。

続きを読む

「礼拝と臨在」ビル・ジョンソン

「礼拝と臨在」ビル・ジョンソン

2サムエル6章、イザヤ54:1 詩篇84篇  主の臨在を語る時に、実際的にそれは「御顔」と書かれており、空中に現れた物体では無く、主と顔と顔を合わせる、繋がる事です。2サムエルでは、ダビデが神の箱をエルサレムに運ぶ時、大胆に踊り、それを見た妻ミカルが蔑み、彼女は子が無かったと記されています。宗教の霊、権力争いの霊は大胆に捧げる溢れんばかりの礼拝を嫌がり、自分たちの便宜上でコントロールします。 イザヤ54:1では不妊の女が喜びの歌声を叫ぶと、通常の境界線、出産を追い越して、バイパスして豊かに子を持つとあります。賛美は、捧げもの、生け贄を主に捧げる事です、それはあなたが普通にする事や、便利であり、なれているからすることではないのです。聖書は外交的で元気な人は「喜びの叫びを上げ」内向的でシャイな人は心の中でハッピーな思いをもては主は喜ばれるとは教えていないのです。私達は多く「大きな声で叫ぶことは、私の性格ではないから、そういう性格の人にまかせる」としていますが、賛美、生け贄をささげる事は犠牲を払う事です。それはライフスタイルです。主はダビデのような大胆に溢れんばかりに礼拝を捧げる者を見ています。 喜びの叫び、賛美の歌特に私達がまだその「不妊」の状態にある時に、捧げる事は 虫眼鏡で太陽光線を集めて発火できる様に、すでにある主の大きさを自分の不妊の状況の中にももたらし、現れていただく事です。 詩篇84篇では主の偉大さを語る中に「雀が巣をつくり、つばめがひなをいれる巣を祭壇に見つけました」とありますが、これは臨在、祭壇は「生み出す場所」である事を教えています。礼拝や祈りの時に、色々しなければならない雑用を思い出して昔は、イライラしていましたが、今はそれは主が私に語っている事だと分かりました。それは、主の答えであり、臨在は相互的に交わりのある場所なのです。教会は今まで神と共に夢を見る民として歴史的に現れた事は無かったと感じていますが、主は私達を今自由にして神と共に夢を見て、それが私達教会を通して現れる事を望んでいるのです。

続きを読む

「女性に力を与える神学ーパート2」クリス・バロトン

「女性に力を与える神学ーパート2」クリス・バロトン

1テモテ2:11〜15、箴言6:20、3:31、使徒18:26 女性に力を与える神学パート2になります。南アメリカの教会ネットワークのカンフェレンスに講師として以前言った時に、主が私に夢を通してその教会ネットワークの為に言葉を下さいました。それは、女性の取り扱いに対してでしたが、結果、この教会ネットワークの兄弟達は主の言葉である事を信じず、彼らの神学者と私を話させると決めて、4時間もの議論になりました。 私が信じているのは、信者、教会は結局自分たちの文化背景によって、フィルターして聖書を考え、適応してるのです。なぜならば、使徒の書簡は特定の文化、特定の教会の問題に対して書かれた手紙なので、「文化背景があるからこの様に書かれている」と理解しなければなりません。違う文化、問題に対して書かれた事を一般的、またはすべての事に適応する事はできませんが、私達は2000年もの間、聖書の中の3つの箇所を使って、女性を制限する文化を造ってきたのでは無いでしょうか? 1テモテ2・11〜14は、パウロがギリシャ人の街エペソにいるテモテ、その教会の具体的な問題に関して答えています。ギリシャ神話、女神が街で最も強く、女性が男性を支配する宗教文化から出て、ギリシャ神殿の信仰からキリストの教会に入ってきた特定の女性達を矯正する為です。女性が先に創造された=女性が力がある、権威は女性を通して流れるという信仰に対して、そうではなくアダムが先に造られた、また女性(エバ)が惑わされた様に、その女性達も惑わされていると言っているのです。 ですから、女性一般が惑わされやすいと言っているわけではなく、ある、特定の人達の事を言っているのです。 旧約聖書には女預言者達、女性のさばきつかさ、女王がいます。また、新約聖書からも、街に影響力のある女性リデアがいます、使徒18:26はプリスクラと夫のアクラとあり、雄弁な男性アポロに彼女は教えました。

続きを読む