神に選ばれた者としての栄光と責任(ヨハネ15:16)
The Glory and Responsibility of Chosen by God (John 15:16 )
IHOP(国際祈りの家)カンザスシティーのマイク・ビックルによるメッセージです。
Original English video: https://mikebickle.org/resource/11-the-glory-and-responsibility-of-being-chosen-by-god-jn-1516-m-bickle/?ett_series_id=13669
聖書箇所 エレミヤ1:5-7、第1コリント1:26-29
私達は「神を選んだのでしょうか」それとも「神に選ばれたのでしょうか」?答えは両方です。主が初めに私達を主権をもって選ばれましたが、私達もその選びに応答しなければなりません。そして選ばれたのならば、責任があります。
全ての信者は神によって選ばれ、愛されています。ヨハネ15:16にそれはあなたがたが行って実を結び、その実が残るためとあります。イエスが「わたしがあなたを選んだ」と言っているのには重要な理由があります。ペテロは自分のイエスへの献身の方がイエスの自分への献身より大きいと確信していました。それは間違いでしたが私達も同じような間違いをしているかもしれません。主は初めから私達を選び、召し出し、弱く壊れた私達を通して御父の栄光を現し、残る実を実らせるのです。ですから、そのためには主はすでに全てを備えておられると信頼することができます。
人間である私達が、創世記1章の神の栄光を私達の人生を通して現し、暗いこの世界で御父を信者また未信者に対して魅力的にみせることができること以上に栄光に満ちたことがあるでしょうか。そのためにまことの葡萄の木であるイエスに常に繋がり続けることです。イエスから離れては実を成らせることはできません。ですから、私達は肉を喜ばせることを選ばず主と時間を過ごし、神の言葉を読み、祈り、会話をすることを優先することができなければ、みことばが私達の内にとどまることはないのです。
神によって弱い者が残る実を実らせるために召されたのです。モーセやパウロもそうです。召されたならば、従う時に神が言葉を与えるのです。ですから、残る実を実らせる為に、主に従い、踏み出していきましょう。
日本語吹き替え:相馬伸子
日本語のプリントのリンク:(只今作成中)
内容は全てmikebickle.orgより許可を得て翻訳しました。
Used with permission from mikebickle.org
______________________________________________________________
毎朝、7時〜8時、祈りと賛美の時を持ちます。
時間のある人、どうぞ一緒に日本の地から、心合わせて、主への賛美の香を立ち上げましょう。
We will be worshipping and praying together each morning from 7am – 8am (JST). Join us as we declare His praises over Japan and the nations.