実を結ばない悲劇と損失(ヨハネ15:2、6)
The Tragedy and Loss of Being Unfruitful (Jn. 15:2, 6)

IHOP(国際祈りの家)カンザスシティーのマイク・ビックルによるメッセージです。(ヨハネ13-17章のシリーズ)
Original English video: https://mikebickle.org/resource/05-th…

聖書箇所:ヨハネ15章2、6節

イエスはヨハネ15章で「実を結ぶ・結ばない」信者をはっきり対比しています。真のぶどうの木であるイエスに最後までとどまり続けることが実を成らせる鍵なのですが、御父は真の農夫として「刈り込み」をし、実を実らせない枝を取り除くと書かれています。これは不人気なテーマであることは確かですが、無視することはできません。
神の全計画が語られることが必要なのです。イエスにとどまっている「枝」の話をしているので、この箇所が未信者の話をしているという解釈はヨハネ書全体から見ても一貫性がないのは明確です。15:6で燃やされる枝は、15:2で切り取られた枝です。ですから、信者と考えるべきです。信者なのに実を実らせず、取り去られ、火に投げこまれるのは最大の悲劇です。イエスは、実を結ばない枝は神の裁きの火で焼かれると警告しています。この箇所は4つの方法で解釈されています。第一に、「焼かれる」枝とは、救いを失ったクリスチャンのことです。第二に、この枝は、クリスチャンであると公言しながら、救われなかった人たちを指しています。第三に、キリストの裁きの座の火の中で報酬を失うクリスチャンのことです(1コリント3:15)。四つ目は、試練の中で妥協している信者です。
 
終わりの時代に信者は最後まで主に留まり「耐え忍ぶこと」が必要なのです。迫害やプレッシャーも強くなります。非常に多くの魂の収穫がありますが、同時に多くの人が信仰を捨てるでしょう。
イエスは6節で「枝が枯れる」と言っていますが、主を求めなくなり枯渇して霊的に活力がなくなるのです。過去45年牧会者として10年、15年主に熱心に仕えて取りなし祈ってきた人たちがもう主を求めなくなった事を沢山見てきています。この枯渇のプロセスは、私たちの人生の選択や時間の使い方に関係があり、イエスとの深い関係を培うための時間を優先させないことが原因です。これは、聖書を教えている人にも、ワーシップチームで歌っている人にも起こりうることです。ICUで重篤な状態にある人は、食欲がないのが普通ですが、霊的に病んでいるクリスチャンも同じように、神に対する飢えがほとんどありません。神に対する飢えがないのは、クリスチャンとして正常ではありません。また霊的に新生しておらず救われていても飢え渇きを持ったことがないかもしれません。

日本語吹き替え:相馬伸子
日本語のプリントのリンク:https://docs.google.com/document/d/16…

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