神の栄光を体験することの裏側 (ヨハネ15:22-24)
The Dark Side of Experiencing God’s Glory (John 15:22-24)
IHOP(国際祈りの家)カンザスシティーのマイク・ビックルによるメッセージです。
Original English video: https://mikebickle.org/resource/14-the-dark-side-of-experiencing-gods-glory-jn-1522-24-m-bickle/?ett_series_id=6287
聖書箇所 使徒5章
神の栄光を喜ぶなら、私たちは現実を知らずにただ喜んでいる訳にはいきません。神の栄光を体験することの裏側、否定的な事柄を今日は見ていきます。
神の栄光、力の影響は中立ではなく、それに対して、人々の心は柔らかくされるか、硬くされるかの反応に分かれます。大きな神の栄光を体験した人は、それに見合った応答が求められます。使徒の働き15章のアナニヤとサッピラに何が起こりましたか?全て捧げたといって残しておいたものがあっても嘘をつきました。神が彼らを打ち、彼らは死にました。
奇跡や油注がれた説教は、イエスの時代にも人々を怒らせ、イスラエルの宗教的なリーダーたちはイエスを殺そうとしました。イスラエルは、イエスを信じなかった国家レベルでの罪の言い訳ができなくなりました。イエスは弟子たちに、「人々があなた方を憎むのは、わたしを憎むからだ」と言い、弟子たちを準備しました。彼らが後に人から憎まれても、それは彼らではなく、イエスを憎んだなら、当然、奇跡を行うものや油注がれた説教をするものを人々は憎むのです。神の言葉を語る説教は、ある人を死に、ある人を命に向かわせます。説教を聞いて、怒り、神から離れる人がいるなら、なぜ語るのかと言われますが、それによって命に来る人もいるのですから、語らなければいけません。
終末のリバイバルには、私たちが想像もできないような栄光ある奇跡や油注がれた説教を聞きますが、それは同時に霊的に非常に危険なことを意味します。奇跡を体験し油注がれた預言的なメッセージを聞き、それで終わってしまい、霊的に鈍くなり、心が冷めている人を長い間に多く見てきました。信じがたいのですが、主との親密さがなければ、私たちは奇跡や栄光、油注がれた預言的メッセージの中で鈍くなり、心が動かなくなり、ゆっくりではありますが、聖書も神をも信じない人になってしまいます。そうなる必要はありません。私たちは神との親密さを求めます。会話するのです。神の言葉をもって神に語り返し、繋がっていきましょう。
日本語吹き替え:相馬伸子
日本語のプリントのリンク:https://docs.google.com/document/d/1enfPqeIYar1ne0wdQaUd3TeTDHGx_4ikLBNp9VS1Fu8/edit?usp=sharing
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