Resurrection Brought Mercy – Bill Johnson JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
使徒13:32〜33、詩篇2章、ヨハネ20章
今日は甦りのイエスを祝う日です。
イエスは処女マリヤから生まれてきて、カルバリの十字架で死なれ、死から甦らされました。詩篇2篇で「あなたは、わたしの子、きょうわたしがあなたを生んだ」とあるように甦りはイエスが2度目に生まれたと言えないでしょうか。最初の「誕生」でイエスを抱きしめたのは処女マリヤ、そして甦ったイエスを最初に抱きしめたのはマグダラのマリヤ、イエスに7つの悪霊を追い出してもらった女性です。私達皆が彼女に問題があったように、私達も問題がありますね。イエスが「甦りに生まれた」時には、季節が変わりました。憐れみが解き放たれました。甦りは「死から長子が生み出された」という事です。しかし、イエス様は罪人ではないので、人類が新しく生まれなければならないようでは全くないのです。イエスは私達の罪の代価を支払った。身代わりとして死なれました。聖書はイエスが罪となられた、だから私達がキリストの義とされる事ができる。イエス様は甦らせられる事を信じて、死なれました。父なる神がイエスを死から命に移しました。私達は、キリストの甦りの命を現す、解き放つ者達です、言葉と行いと態度によってです。
主の墓をマリアが見た時にイエスのからだの頭と足のあったところに天使が2人いるのを見ました。契約の箱は、証しの箱とも言われています。中に入っているのは十戒、アロンのアーモンドの枝、マナのツボでした。イスラエルの民と神様との歴史を現すものです。その箱の上には2対の天使が向かい合って、その間には憐れみの御座があります。
マリヤが主にあった時、彼女はそれがイエスだとわからなかったけど、マリヤと呼ばれた声でわかった。そのようにイエスは私達の前に異なった姿で現れるのです。わたしの羊はわたしの声を知っている、人はパンだけで生きるのではなく神の口からでる言葉で生きる、とあるように、私達は「声」で判断する、わかるのです。臨在は声です。
主の御名を呼び求める者は皆救われる、それは主が私達全人類に与えてくださった事です。死んでいる者は神を見つける事はできません、私達が誰一人として自分でイエス様を見つけた者はなく、神が私達を追いかけ、求めて、くださったのです。
クリスチャンとして生きる事は甦りの命を生きる事、解き放つ、現すことです。キリストの命は、解放、奇跡の中に見えます。そして、もっとも大きな奇跡は救いです。