Divine Favor – Bill Johnson JAPANESE
ルカ書1:28、1歴代誌22:8.9
「神と人からの好意のなかにイエスは成長した」と聖書でみますが、神の子、決して罪を犯さない。イエスが「好意」が増し加えられる事を経験した、またそれを必要であったならば、自分にはどれだけの「好意」が必要なのかと感じます。私は神と人の好意が増加する事が必要です。「好意」とは神との関係によって神がそれぞれに与えますが、神はえこひいきの神ではないので全ての人を同じだけ愛していますが、「好意」はそれぞれ異なる量を与えます。
好意は「神からあなたへの励まし、愛情表現」ですが、それが私達のアイデンティティーではないのです。また、好意は「神があなたを用いあなたの周りの人々を祝福するため」にあたえられます。適切に好意を用いるなら、増加します。
神があなたに好意を与え、周りの人が神を自由に知り、愛する事、またあなたが彼らの人生の神からの計画を解き放っていくためのものです。仕えていくためです。
「多くの好意」は「多くの妨げ」をも、もたらします。ルカ1:28で 天使がマリヤに「あなたは多くの好意をうけました」と言われました。しかし、それでマリヤの婚約者との関係はほぼ破壊されましたが、神が夢でヨセフに語ったので、結婚しました、しかし、マリヤとヨセフの間には婚外子であるイエスがいる状況から始まったおかしな家族でした。
「好意」を受け取る事を否定することはありませんが、受け取って当たり前でも全くありません、好意は「恵み」であって受け取るのに値しない者がうけとることです。「好意」は関係に基づいています。奇跡やしるしを主の御名によって行った者達が「私はお前達をしらない」と言われる箇所が聖書にあります。私たちが神をしること以上に大切なもの、一つだけあります。それは主があなたや私を知る事です。私達が意図的に良い所、悪い所を全て主に明け渡し、憐れみの神に癒して頂く事です。
主と個人的な親密さがない人が奇跡や癒しをするのならは、親しい関係のある私達が奇跡やしるしをしないという言い訳はできないのです。