God On Mute – Eric Johnson
同時通訳:相馬伸子
1テモテ2:3、4、エペソ5:17、18、1テサロニケ4:6、7、ピリピ1:29、ヨハネ15:15、2コリント3:6
私達信者の中で、「自分の人生の為の神様の御心」の話をすると、よく相手の心が閉じているのを感じます。多くの教会では、「神様の御心」が制限するもの、私達の力を奪ってしまうものとして扱われている事ようです。神の御心と、それにそった判断を人生でしていく事は、私達神様との関係を持つものにとっては、かならず必要な事で、それを避ける事はできないのです。
神様の御心は、あなたが思っている以上に 広くて、あなたに力を与えるものです。あなたが、救われて、聖霊で満たされて、良い行いをすることです。
私達が「神の御心」にそって、何かを判断する時、決断する時「正しいことをしたい」と「間違えたくない」という正しさ、間違いのように、考えてしまい、特に「間違った決断をしたら、自分の人生はおしまいだ」と恐れるのです。「神様の御心」を正しく判断できなかったら、祝福されないと思うのです。
でも、このように思うことは、「奴隷やしもべ」としての関係に立っているからです。奴隷は、仕事をするだけが人生の目的であり、主人の家や心に入ることは決してありません。しもべは、心にふれ、家に入ることはできるかもしれませんが、会話に参加することはないでしょう。しかし私達は、「友」であるとイエスさまに招待されているのです。教会は今現在この「友人」としての親しさ、親密さに歩むことができる季節ですから私は、喜んでいます。
自分の人生でも、決断をする時、大きな決断の時に限って、神様は無言であるように感じます、それは「あなたが何をするのか、見ていよう」と父の心で見ているからだと思います。友達は、一緒に作り出していくのです。自分は親として、子供の夢が実現することを一緒に生きることを喜びます。