投稿者: Onfire Japan

「イエスはムーブメント」エリック・ジョンソン

Jesus Is Movement – Eric Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子

ピリピ3:12〜16、エゼキエル47:1〜12 

前回は「タイムレスムーブメント」永遠の運動、ムーヴメントの話をしました。
イエスの福音は「永遠のムーブメント」であり、一過性の流行りのものではないのです。
どうやって、文化の中に塩として、「殺菌力」と「塩気」を保ちづつけるのか。

今日は、イエスご自身が「ムーブメント」動きであることを話します。
パウロは、後ろの事を忘れ、ひたむきに前を向いて、一心に進むことを語っています。
彼は、多くの迫害、障害を持って、多くの宣教を成し遂げました。彼にとっては「迫害や障害」があることは「御心ではない」でなかったのです。

ある女性はひどい痛みのある病気にかかり、鎮痛剤を大量にとりましたが、痛みを体が感じなくなると、本人の病に戦う意思がなくなり、体も萎縮がはじま理、結果として鎮痛剤を止め、無理にでもリハビリをすることで一命を取り止めました。人間の体は、ただベットに寝ているのでは生きていけないように創造されているのです。
私達の霊的、肉体的なことも一緒です。動かないなら、死んでしまうのです。

エゼキエル47章では、「宮から遠く離れると水は、深くなり、川になり、その水に触れるものは全てが生きる」ことを見ますが、今私達教会が、信者が、このようにして「神の宮、教会の建物」から遠く離れるところで、神の御国を広げるときです。宮から離れれば、離れるほど、水は深くなり、自分では歩めず、川に運ばれるのです。

イエスキリストを信じると決めた時に、皆さんは「何もしない」ことにサインし他のではなく、「動き続ける」ことに、サインしたのです。
イエスご自身のなかに 私達は存在して、常時動き続け、引き伸ばされ、新しい領域に踏み出して進みます。
新しい境域は、わからないところ、下書きのないところ、地図もないところです。飛び込んでから、どこに行くのか体験するような感じです。
新しい領域に出ている時、宣教の情熱がある時、教会は成長します。あなたの成長、将来も、あなた自身が「過去を忘れ、前進する」事に、かかっています。

日本語動画:https://youtu.be/7Z2znbivmuk
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4233/jesus-is-movement-sunday-pm/2016/09/18

ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma https://onfire.jp

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「永遠のムーブメント」エリック・ジョンソン

Timeless Movement – Eric Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子

使徒5:33〜42、使徒15 
私達が今、関わり、この教会で体験し、色々な所に旅行しながらしている事は「ムーブメント」です。
そして、これは「時間のない所」で最初に神様によって始められ、そして、私達の為に時間を作り、その中に「ムーブメント」をおき、私達が参加し、現れる事が出来るようにされているのです。

福音は永遠です、なぜなら神が始められた事であり、神には「終わり」がないのです、神ご自身が「始めであり、終わり」である方であり、それが神様の本質です」
色々なムーブメントは、流行りもありますが、でも私達は流行る福音を作るのではなく、この福音、ムーブメントの中心がイエスキリストであり、イエスキリストの為である時に地上にあるけれども「永遠の領域」にある事になるのです。
私達はこの「ムーブメント、福音」を置かれた文化の中で受け入れ、アダプトしています。自分のものとして、適応していますが、周りに受け入れられやすいように本来は「刺す」べきである角を削り、丸く合わせる事は、水で薄めるような事は出来ません。

ペンがどのようにしてペンであるのでしょうか?それは「書く」事ができるからであり、見かけではなく、機能です。
永遠のムーブメントである「福音、イエスキリストの福音」も、見かけは変わっても、本質は薄められないのです。
私達は「この世」のなかに住み、そこで、このイエスキリストを伝えるのですが、どのように文化や社会に影響を与えるのでしょうか?

使徒の働き15章では、エルサレムでリーダー達が会議をしていました、まったく想定外だった異邦人に聖霊が注がれたからです。
パウロが現地の証をもって、会議に現れ、そこで福音は、ムーブメントは、前進していきました。もともと、全世界に出て行くものだったからです。

イエスが探しているのは、主が与えたアイディアを受け取り、その流れを続ける人たちです。

私達は政府に影響を与えています、それを継続する為には「賢さ、多様性、繊細さ」が増加する必要があると主が語っているように感じます。

日本語動画:https://youtu.be/2Y0KYDidLsE
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/the-timeless-movement
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4221/the-timeless-movement-sunday-am/2016/09/11

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「神様と政府」クリス・バロトン

God and Government – Kris Vallotton JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子

マタイ28:17 ローマ4:17、18 イザヤ9:6.7 、ローマ13:1〜7、ダニエル 

イエスはマタイ28:17で 「天においても、地においても私にいっさいの権威が与えられています、だから、あなた方は国々を弟子としなさいと」言っています。
その意味は、「国々の父、母」となると言う意味ですから、それはアブラハムに与えられた約束です。そして「子孫たちは国々の父となる」ということでヤコブが実際イスラエルとなり、国の父と成りました。
イザヤ9:7では「その主権は増し加わり、その平和は限りなく」とあります。神の王国、主権というのは、永遠に変わらないサイズの王国があるのではなく、指数関数的に増加しているのです。あなた、私のうちにイエスが来たらそれは、神の統治、王である私達をイエスが王として治めるので、王国が広がっていることです。

神は政府と教会を異なる方法で、導きます。教会を愛で導き、世の政府を力、必要なら武力を使います。
政府の役目は、私達の弱点を覆い、長所を増加させ、私達の使命の中に送り出していくことです。
ローマ13章はローマ人に皇帝ネロの時代に書かれました。
「神の国」を神が治める原則を言いましょう、それは「選択」をさせることです。神は「選択」の神です。ですから、「律法」と自由意志を与え、互いに傷つけないなら、自由にすることができる、そのようです。
神は義人と悪人を両方とも値しないような憐れみを持って、接します。両方に太陽を昇らせるのです。

政府は「神の怒り」を示すことができるように神はデザインしています。
あなたの近所の人が、あなたを殺そうとした時に、警察や政府の「武力行使」を恐れて、おとなしくして欲しいでしょう。
そのようにして、「人が人を傷つける」事から神は人を守るようにデザインしました。

政府の仕事は「人をクリスチャン化」するのではなく、教会の仕事が「人が神の国のやり方を選択できるようにする」のです。
政府の仕事は「平和」を作るためであり、そのために権利と剣を持つ事が与えられています。
政府の中に私達が進もうと、影響を与えるようにするなら、考え方を教会が変えなければならないでしょう。

ダニエル、ヨセフ、エステルのような人々が沢山今、建てられています。
彼らの「蛇のように、さとく」「鳩のように素直」である事が政府の中に働く道です。

日本語動画:https://youtu.be/e9m0ZZj3N0k
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/god-government
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4198/sunday-morning/2016/09/04

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「皆が預言する」ビル・ジョンソン

All Must Prophesy – Bill Johnson JAPANESE INTERPRETATION 同時通訳:相馬伸子 民数記11:24〜29、イザヤ51:12〜16 イザヤ59:21 エペソ4:29 使徒3:24、25 今日、私が話す「預言的、預言」というのは5役者の預言者ではありません。 旧約の時代には、ほとんど神の民に主の霊が注がれると、「預言」して、神のことばを語りました。...

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「あなたの家を岩の上に立てる」エリック・ジョンソン

Building Your House on a Rock – Eric Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子

マタイ7:24〜29 

私は初めて4週間、1ヶ月の休暇、安息休暇を取りました。
その時には曜日を忘れるくらい、日常から離れて、家にはいましたが、でかけたところは、ホームセンターぐらいです。
長女を今年夏にメキシコの牧場での奉仕のキャンプに送り出しました。彼女を送る時も、迎える時にも泣きましたよ。
その時にわかったことは、自分がなんて豊かな男であるのかと言うことでした。娘たちは深く愛し合っていて、妻と僕もそうです。
このような関係を持てることは豊かです、富んでいます。

このように日常と離れて暮らすと心の中の普段は考えない事柄が浮かんできますね。今日はその話もします。
マタイ7章24〜27のメッセージは山上の説教の最後の部分です。
「この教えを聞き、行うものは岩の上に自分の家を立てる」また、「聞いても行わないものは砂の上に家を立てる」ものだと言われています。
「家」「砂」「岩」「天候」が重要な例えですね。家を建てますが、天候という力で壊れたり、それでも残ったり。
家とは「自分の人生、次の世代」であり「砂は〜今はもう無い物」「岩はゆり動か無い、しっかしと動かされ無い」「天候ー人生の出来事」。
あなたの人生をあなたがどこに建設しているか、気にしていても、しなくても、または大した事していないので、建設してい無いといっても、本当は建てているのです。
あなたの人生は「目的」「使命」があります、あなたの人生は「他の誰かに影響を与えます」。「自分の人生には全く影響力がない」という考えはひどい嘘です。
自分の事を話すならば、過去4週間で示された事があります、砂の上に城を建ててしまっていた事です。それは、自分の価値を自分がキリストにあるアイデンティティーではなく、仕事から得てしまっていた事です。ですから自分の過去数年のジェットコースターのような上がり下がりがあったとわかりました。
私達はよく、自分の心地よい「過去の砂」に家を建てる事もあります、変化を嫌うのです。でも神様は私達のように時間に束縛されず、同じように考えません。忍耐そのものです。
もし。砂の上に城を建ててしまっている事が「天候 人生のチャレンジ、危機」によって示されたら、それも感謝ですよ、後にそれがわかる方が大変です。

日本語動画:https://youtu.be/UmIbb7ctAwA
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4165/building-your-house-on-a-rock-sunday-pm/2016/08/07

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「勇気の日」ビル・ジョンソン

Day of Courage – Bill Johnson JAPANESE INTERPRETATION

同時通訳:相馬伸子

1サムエル14、詩篇67、イザヤ60

サウルの息子、ヨナタンは非常に優秀で、勇敢な戦士でした。
1サムエル14では、彼は自分と、道具持ち(戦士でないもの)の2人だけで、山の上の方のペリシテ人の陣地に向かいました。
そして、彼は「たぶん主が我々に味方してくださるだろう。大人数によるのであっても、少人数によるのであっても。主がお救いになるのに妨げになるものは何もない」という素晴らしい事を告白しています。このフレーズを覚えてください。これは「新しくされた思い」で考えているものです。
人は「数」「サイズ」「時間」によって、束縛され、心配しますが、神にはこれらは全く関係ないのですね。思いが新しくされる事から見えるしや、言える言葉です。
8節から10節でヨナタンのいう事、行う事は「人間的に考える軍事的作戦」としては全くおかしいのですが、神のやり方は、不思議です。聖歌隊を軍隊の前に出して、歌わせよという事と同じようにおかしいですね。しかし神のやり方は、違うというところです。
13節では「ヨナタンが登ったら、ペリシテ人はヨナタンの前に倒れ、道具持ちがその後から彼らを打ち殺した」とあります。素晴らしいですね。

21節には「それまでペリシテ人につき、彼らと一緒に陣営に登っていたヘブル人も転じて〜イスラエルの側につくようになった」とありますが、イスラエル人としてのアイデンティティーを捨て、人生の生き方、服装、言葉を「敵陣」のようにして、敵陣の中にいたユダヤ人がいたのです。
しかし、先のヨナタンと道具持ちの勇敢な物語を聞いた時に、彼らはイスラエルの側に戻ってきました。何かが変わったのです。勇敢なストーリーが解き放たれる時に変化を心の奥深くに起こすのです。
22節には「エフライムの山に隠れていた」イスラエル人もペリシテ人が逃げたと聞いて、彼らもまた戦いに加わったとあります。
勇敢な物語が、解き放たれる事で「山に隠れている」神様の働きにつながっていない、人々もそこから出て、戦いに加わったのです。

証しを聞く事は、そのような働きをします。
問題に対して、神の民が、神の言葉を解き放ち天がそれに答え、イエスの栄光が見えるようになるのです

日本語動画:https://youtu.be/VZmP7M29rcI
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/the-day-of-great-courage

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「神と共に働く者」ポール・マンワリング

イザヤ61章、2コリント6:1、ヨエル2:17 

私が「刑務所で19年過ごした」と聞くと、人々は、彼は長い刑期を務めたと勘違いするのですが、私は19年間、刑務所に勤務していきました。
しかし、その時には教会では、自分の職業、やっていることによって「価値」を受けたように感じません、集会に参加することや献金することであなたには「価値」がある と言われたように受けました。

97%位の人は教会に来ても給料が出ることではなく、学校や、病院や、家庭で働き、仕えています。
しかし、その97%の人たちは「無力になっている軍隊」のようです。
それは、「聖と俗」があり、自分は「フルタイムの献身者」ではないから、自分の価値は低い、認められないと 嘘を信じています。
聖書では聖と俗があるとの教えはありません。
「聖職者」の方が価値があり、霊的であり、優遇されているという嘘で私達は自分達を比べ、低くし、力を捨てています。
「今、すでに神からの使命の中に歩んでいる」ということを信じないと、明日の心配、明日と今日を比べて今日を生きる事ができないのです。

私たちは2コリント6:1であるように「神とともに働く者」なのです。
ですから、これは全部神のはたらき、これは全部私のはたらきということではないのです。

そのような考え方を変える必要があります。
ヨエル書の2:17では「祭壇」と「玄関」の間で泣いてとあります、どういうことでしょうか。
私達は「皆が祭司」とされたのですから、祭壇があり、そこで主に祈り、とりなしをして、「玄関」から出て、世にいって神の国を建て上げるのです。私達は「祭司であり、王」なのです。

イザヤ61から、私がスクールで学んだことは、「心が壊れ、痛み、囚人、捕囚」であった人々は、癒され、解放され、のちに「街を復興し、主の祭司」になるのでした。

あなたがたはすでに、神の使命の中に生きています。自由になりなさい、あなたがたをイザヤ61のメッセージで送り出します。

日本語動画:https://youtu.be/_ujLJ1h6kOk
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/co-laborers-with-god

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「あなたの人生を変革する」クリス・バロトン

同時通訳:相馬伸子
ローマ12:2、マタイ17:2 、箴言13:20、マルコ4:24、25 

あなたの人生を変えたいと思う人がどれだけいるでしょうか?
あなたは人生を変える事はできませんが、あなたは思い、考えを変える事はできるのです。
そうすれば、神はあなたの人生を変える事ができます。

ローマ12;2の「心の一新によって、自分を変えなさい」とありますが、この「変える」という言葉は、マタイ17:2にある「御姿がかわり」という言葉と同じ言葉です。

「最初に聞いた事が土台であり、フィルターになる」という原則があります、これはある事柄の事を初めて聞いた時、それは土台となり。フィルターになります。
その次に同じ事柄を聞いた時には最初の土台のフィルターを通して見る、考えるという事です。私達が「み言葉の真理」を土台、フィルターにするならば、真理でないものは出す事ができますし、真理が土台となるだけでなく、フィルターの役割も果たすのです。

思いを変えるには、どうするのでしょうか?私は自分の霊で思いにかたります、「わたしの思いは、このような事柄を思い続ける事ができない」とします。
わたしの「思い」はわたしの霊に従うので、私は自分の思いの奴隷ではないのです。

人生を変えたいと思ったら、思いを変える為に、自分の周りの文化を変える事によって、自分の内側の文化を変える事ができます。
箴言13:20でありますが、自分が「こうなりたい」とおもうような、思いが健全な人たちとつながってください。
もちろん、すべての人に対して、私たちは「奉仕」する事ができますが、「奉仕する為につながる人々」と「自分に影響を与える為につながる人々」は異なります。

マルコ4:24でイエスは「聞いている事によく注意しなさい、あなたは人に量ってあげる、その量りで自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます」と言いました。聞いている事で自分の基準ができ、それによって自分の所にも聞いている事が増加してやってくるのです。

思いを変える事ができないとおもいますか?
あなたが新生した時に古い人は、死にました。十字架は古い人の為です。死んだ古い人に話しかけたり、よみがえらせたりしないでください。
古い人を「脱いで」あたらしい人を「着る」のです。
真理によって、実際にある葛藤、その葛藤の根は嘘を信じているからだと思いますが、と置き換えてそれを語るのです。

自分で自分の人生を変える事はできませんが、思いを変える事はできます。そうすれば、神様があなたの人生を変革してくれます。

日本語動画:
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/transforming-your-life
英語動画:http://www.bethel.tv/watch/4082/transforming-your-life-sunday-am/2016/07/03

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「王国」ポール・マンワリング

同時通訳:相馬伸子
1サムル16:7、マタイ13:11〜13、

「王国」、「神の国」という言葉について、今日は皆さんの心が引き伸ばされる事を願ってお話しします。
「王国」とは、どこですか?
私はUKで生まれました、女王がいる国です。でも、その王国に生まれる事は、自分の選択ではありませんでした。
もう一つは、選択がある「王国」です、新生する時に「神の国を見る事ができる」とあるように、これは、あなたが新生する時に
王様であるイエスを招待した、お迎えしたことによって、あなたの内側に神の王国がきます。

新しく生まれなければ、「神の国」を見る事ができない、ということは、私達新生した信者が、「見る」事ができるともいえます。
神の王国はとは、私たちがあるルールや、解決方法を問題のあるこの世に持って行き、強制的に上から与える事でもたらせる事ではなく、
神の王国は、私のうちにイエスキリスト、栄光の希望が住まわれる事で、影響を私をとおしてこの世に現れるようなものです。

神の国は「内側で起こる変化」であり、栄光の望み、イエスキリストが現れる事です。人の視野ではなく、神の視野で見て、それを生きる事で影響をしていく事です。

1サムエル16:7でわかるように、人は外側をみるけど、神は心を見ます。私たちの周りの世の中とは、違う視野、違う聞き方を新生した信者は持つ事ができます。
それが、マタイ13:11^13でいわれるように「奥義を知る事が許されている」ので、神の国の奥義を新生した信者は知る事ができるのです。ですから
その事を求めていきましょう。

神の国のライフスタイルは、「探し求める事を続ける」ことでしょう。マタイ13:44〜46であるように、商人は素晴らしい価値の真珠を見つけ、その為に全てを売り払い
畑を買います。神の国は「高価な真珠」ではなく「良い真珠を探している商人のようだ」といっているので、私たちは「良い真珠」をみつけて、これが神の国だと誤解しやすいのですがそうではないのです。
いつも、求めること、探すことがライフスタイルになるように。

あなたが自分の思い、考えで、「神の国」がどれくらいのサイズがあるのかと思っていることが、実際にあなたの信仰で現れます。
それは、いつも成長するべきだと思います。

日本語動画:https://youtu.be/ENZiK-IyAdo
英語動画:http://www.bethel.tv/watch/4089/kingdom-sunday-pm/2016/07/10

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「とりなしの為のポジション」ビル・ジョンソン

2歴代師7:14 

「わたしの名を呼び求めているわたしの民が、自らへりくだり、祈りを捧げ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒そう」

アメリカで、最近いくつもの、神の介入がなくては、自分たちの努力ではどうにもならないことが表面化しています。私たちには、癒しが必要であり、心の傷んでいる、壊れている所に癒しが必要です。

アフリカ系アメリカ人男性に対しての、警官による発泡事件事件や、オーランドでのナイトクラブでのテロリストによる事件、また、警察官を目的にして、1人が5人を射殺した事件もありました。これらは悲劇です。私達が必要なことは、慰めを与え、ともに立つことです。
理由がどうであれ、命が奪われたことは悲しいことです。私たちはそこで、裁きの声を出さずに、慰めたいのです。

政治的な霊は「ピラト」のように、手を洗って、自分はこの問題とは関係ない、と距離を置きます。宗教の霊は「姦淫の女」に石を投げるように、自分が宗教に熱心な事を裁く事によって、見せようとします。私達は「神の御国」のやり方で、進む時です。

とりなしの時に「私たち」「かれら」といって、しまうことは、「裁きの霊」に加担してしまうことが容易になります。
とりなしとは、「ギャップに立つ」こと、「相手の立場にたって祈る」ことであり、相手の立場に立つことは「聞くこと」なしにはできません。
理解や同意できなくても「しること」はできるでしょう。
ネヘミヤは自分の犯していない罪を「わたしの父の家も罪をおかしました」と自分の事として悔い改め、いのりました。
それこそが、「同一化して祈る事」です。

日本語動画:https://youtu.be/T_-txChZPRg
英語動画:http://www.bethel.tv/watch/4088/position-of-intercession-sunday-am/2016/07/10
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/position-of-intercession

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