投稿者: Onfire Japan

「ダイアモンドとそのありかた」ビル・ジョンソン

「ダイアモンドとそのありかた」ビル・ジョンソン

出エジプト31:1〜5、イザヤ60:1〜4、61:1〜4 ソロモンの人生を知恵と、社会の変革という事に対して語ってきましたが、シリーズ最後になります。神様が新しい啓示を下さることは、まるで層になっているように、神が既に啓示で教えて下さった事の上に新しい啓示を置かれます。その啓示をダイヤモンドと呼びましょう。新しい啓示が来たらその前の啓示はなくなるのではなく、積み重ねるのです。 聖書で最初に「主の霊で満たされた」人は職人であり、知恵と創造を用いてモーセの天幕を造り、イスラエルの民に益を与える為でした。ですから、主の霊で満たされることは、知恵を受ける事です。 箴言とは、「治める」という意味ですが、それは「いのちにあって治める」事です。主と繋がる事で信者がどうやって人生を祝福と繁栄と打ち破り、知恵をもって歩くかはあなたの為だけでなく周りの人々、共同体の他為です。契約の友情で繋がる人々の集まりを神様は建て上げています。信じる前に弟子達は互いに属して、所属していた。 送り出す事も、大事、しかし私達が社会の中に留まり、塩として、光の有る町として人々が「来る事ができる」場所を造る事も主が語っている事です。

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「預言と預言者1」クリス・バロトン

「預言と預言者1」クリス・バロトン

1コリント12:1〜11、エペソ4:7〜16  預言の賜物と5役者の預言者の事を今日は話します。1コリ12:1の原語は「御霊の賜物」ではなく、「霊の領域」「霊の世界」と書かれています。パウロはコリント人、ギリシャの神々を信じる世界観から信者になった人達に「唯一の神、霊の世界」事を教えていました。ここでは「同じ」という言葉が多く有りますが、それは「預言の神」「癒しの神」「異言の神」と誤解していた人々を助ける為です。正しい霊的な経験と間違った神学があったのです。唯一の神が全ての賜物を与えます。 御霊の賜物は「プレゼント」ですから、求めてもらった人が預言をするのです、預言ができる人は人格が成熟している証拠では全くなく、すべての御霊の賜物は「もらう」ものなので、成熟さの証し、結果ではありません。世界中で「霊の領域」に触れる事に飢え乾きがありますが、宗教は嫌われます。御霊の賜物の預言は「励まし、立て上げ、慰める」為であり、「皆の益」のためです。もしあなたが御霊の賜物を使っていても人々が励まされていないなら間違った油注ぎでしょう。 5役者の預言者が「キリストの賜物」であり、キリストが体「教会」に与えたものです。預言者の召しと賜物があっても、油注がれ、「任職」されるまでは、「5役者の預言者」ではないのです。教会は「5役者」を賜物、キリストからの贈りものとして感謝して受け取れる事が大切です。 預言の賜物ならば、私が行う事ですが、5役者の預言者は「私」であるので、それを止める事はできません。それは、女性に対して「今日は女である事を止めなさい」というようなものでしょう。 

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「夢を行きている事」ダニー・シルク

「夢を行きている事」ダニー・シルク

私達は今多くの継続する好意の波の中を生かされているようであり、夢が実現しているような思いの中にいます。夢や幻が無い時に、私達は「やっぱり既に経験した過去」が良かった、と思い、過去に寄りかかってしまいますが夢や幻を私達の目の前に掲げるならば、難しい事や、障害があってもそれを乗り越える「勇気」が立ち上がってくるのです。 夢、希望は私達を前進させるために必要です。夢を持って生きる時に、誰か他の人の為の夢や幻を自分の物のように見たり、または人が夢を実現させている事を見てうらやましがることはできません。そうではないのです。昇級や繁栄は神から来ます。時が有るのです。私の家族は教育に価値を持っていませんでしたが、妻や子供ができた頃に会社からカレッジに行く事があなたの仕事の為が成功する為に必要だといわれ、結果的に8年位かかってカレッジを卒業しました。その間でも自分たちで選んだようでないチャレンジや状況があり、学校を止め、リバヴェルに戻ってしまおうと思い、妻と祈った時に「神が私達をここに置いたのだから、どこにも行かずに神とこれを乗り越える」事が神の導きだと感じてレデイングに留まりました。その後にビルやクリス達と一緒にリバヴェルで副牧師をする様に導かれました。それは13年に預言された 事の成就でした。 ペテロは湖の上をイエスが歩く事を見て「私を呼んで下さい」と言った事は「私より大きな事をする事の為に私を召し出す許可をあなたに与えます」と言ったのでしょう。 夢は神からの贈り物であり、神は「夢の与えぬし」であり、私達がその夢によってよそ見をして、主ご自身と私たちの関係が歪んでしまう事を望んでいないし、私のアイデンティティーが「夢」にならないように主はテストをされます。

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「街を神の方法で建て上げる」ビル・ジョンソン

「街を神の方法で建て上げる」ビル・ジョンソン

第一列王記4章、イザヤ60、 私達は、周りからの影響が全くなく、ただ神からの働きかけによって救われるのではないでしょう。興味深いのですが、弟子達は、最初に信じたのではなく、最初に「属した、一員になった」そしてその中でイエスによって影響を受けて、信じたのです。大宣教命令で「出て行って」という事は大事ですが、その裏側の視野として「来る事ができる人、場所」であることが必要です。それは、地の塩、世の光、パン種のようです。周りに影響を与えて、システムの中から変化を与える者です。ソロモンは「知恵」を神から与えられ、その知恵は周りの王や、国々がやってくる目的でした、「神の知恵」はこの世が心から求めているものです。 イザヤ60章は、今私達に与えられている事です、主の光は既に来ました、その後には光は来ないのです。ですから、預言者からの預言や、確認や、開いたドアがくるのを待ち続けないで、今有る所で立ち上がってください。また、「傷ついた者や痛んだ者」は最も簡単に拒絶してしまう人達ではありますが、その人達が「建て上げる」人達なのです。そのような人達に価値を見る事ができた時に、街が回復する事ができるのです。「博愛の動き」があります。それは正しい霊によって貧困の霊を打ち壊すことです。貧困のサイクルを打ち壊す事は大金を使えば変る事ではないのですが資源も必要です。信者が与えられた富、好意、権威をどのように取り扱うのか主が見ています。 また、信者が祭司である事も覚えてください。旧約では「祭司に将来的にされる」と書かれていますが、1ペテロではすでに「祭司である」と書かれています、祭司とは神と人に仕え、また神と人を現す働きをする役割の事です。

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「影響を与える友人達」エリック・ジョンソン

「影響を与える友人達」エリック・ジョンソン

民数記13、箴言12:26 あなたはどんな人達にあなたに影響を与えさせていますか?どんな友人によってあなたは囲まれていますか?  民数記13ではイスラエルの民は約束の地の目前で、10人のスパイが否定的な報告をしてたことによって約束の地に40年もかかって歩きました。それまで400年もの奴隷の時代があって、神の多くの奇跡でここまで来たのに、一国の運命はここで変ってしまったのです。 あなたの人生の旅路、神からの約束の地を受け取る過程はすべての友人が一緒に歩ける事ではなく、歩くべきでも無いでしょう。神のあなたに対する約束を知っている人によって自分自身を囲むのはあなたの責任です。神の約束でなく、その人々の意見ばかり押し付けるなら、その影響によってあなたが約束の地に入れない可能性もあります。正しい友人を選ぶ事はあなたの責任です。自分に閉じこもる事やは、孤独をもたらしますが、私が一時期そのような閉じこもる感じや孤独と葛藤していた季節がありましたが、2人の別々の所にいる友人が私の携帯にメールで「どうしているの?君の為に祈るべきと感じるんだよね」と連絡してきました。彼らは私がどんな葛藤をしているかは全く知らないはずでした。聖霊が彼らに小さな声で私に対して連絡するように語ったと感じました。ですから、自分もその時から誰かに対してどうしているのかな?と思う時に聖霊が語っていると信じる事にしていて、自分も携帯でメールをしたりしています。

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「契約、情熱と生け贄」クリス・バロトン

「契約、情熱と生け贄」クリス・バロトン

創世記2:24 1サムエル18章 「契約」とは何でしょうか?  最近「溶接機」の使い方のビデオを見ていたら主に語られました。溶接とは熱をコントロールして、2つの物を1つにする事ですが、それは「結婚」の契約なのです。結婚は契約によって「2つが1つになる」事です。同棲する事は「2つが一緒に存在しても2つであり続ける」事で決して1つになる事は有りません。良い結婚を壊したければ簡単です。伴侶にあなたが幸せである事の責任をとらせるのです。私達の文化は非常に自己中心ですが、結婚は「相手の為に自分の人生・命を捧げて生きる」という事を意図的に約束する事です。もちろん情熱が無い人とは結婚したくないでしょうが、結婚は情熱だけでは成り立ちません。契約と犠牲にって成り立つのです。 一般的な「契約」は共通の敵を持つ事によって結ばれます、たとえばギャングやいじめがそうでしょう。しかし、真の契約は愛が土台なので、敵はいりません。ダビデとヨナタンの契約がそのようでした。自分を愛するようにヨナタンはダビデを愛したとあります。そしてヨナタンは彼の上着、よろい、剣、弓、帯をダビデにあたえますが、それは契約を結ぶ事であり、正当な王位継承を与え、無防備となり、戦いを決して起こさないと決めたのです。 2014年はこのような契約を結ばせたいと主が語っています。契約を新しくする時です。

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「頭であって、尾ではない」ビル・ジョンソン

「頭であって、尾ではない」ビル・ジョンソン

詩篇67:1、2 箴言24:3、4  私達が祝福される事で周りのまだイエスを知らない人が主を知る事を知っていますか?私達が祝福される事がリバイバルの触媒である事をしっていますか? 詩篇67:1、2節にあるように。主が私達をあわれみ、祝福し、御顔を照り輝かせることの結果は、「あなたの道が地の上に、御救いが全ての国々の間に知れ渡る事」なのです。主の御顔はあなたを喜び、楽しんでいる愛である天の父の顔です。あなたは天の父に喜びをもたらしているのです。 数年前に預言的に語られた言葉ですが、「主が憐れみ、博愛の働き」をカリフォルニアに起こすと言われました、主が傷ついた人々の人生に触れて、彼らの人生が回復するのを見る事ほど素晴らしい事はありません。そして、その為には天からの資源が必要です。しかしそれは「運良くくじにあたる」メンタリティーではなく、「神の知恵によって歩く」ことによって、私達が建てる事柄に主が加わってくださる事だと思います。ソロモンの人生からシリーズで話してきましたが、今日は祈る事を主が導いています。 主は私達が「無くした物」の回復をして下さっています。神様にはそれができるからです。時に奇妙に思えますが、あなたにとって大切な物は神様にとっても大切な物なのです。

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「ネブカデネザル王に仕える」エリック・ジョンソン

「ネブカデネザル王に仕える」エリック・ジョンソン

ダニエル1章、3章 既に始まっていますが、主が私達を「ネブカデネザル王」にダニエルを送り、そこでダニエルが仕えたように私達信者が、私達の土台的価値観と逆行する価値観や文化の社会の中で仕える時だと信じています。神は信者だけを愛するのではなく、全ての人を愛しているのです。 ダニエルはどこが違ったのでしょうか?「仕える心」を持っていました。そして、「自分をけがさない事に心を定め」た時に、神は好意、必要、能力を彼らに与えたので、 ダニエル達はネブカデネザル王に、私の呪法師より10倍勝っていると言われました。私達は世に出て仕える時、「自分が周囲と同じ様であり、受け入れられるために妥協し、その後に神の事をします」と言ってしまいがちですが、ダニエルは反対に最初から、自分を周りによってけがされない事に心を定め、また後に燃えさかる炉に落とされても自分は神を礼拝する、またライオンの穴に落とされてもネブカデネザルは礼拝しないと心を定めていました。神はネブカデネザルを愛し、ダニエル達を送った。私達も愛をもって、仕える心を持って、仕えます。心を定めることによって「世に同調しない、汚されない」事は恵によって可能であり、それによって神が彼に与えた好意や繁栄を覚えてください。

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「心から赦す事」ダニー・シルク

「心から赦す事」ダニー・シルク

私達は相続を2つの流れから受け取ります。一つは「敬う」事によって、もう一つは「裁きや苦みを持ち続ける事」によってです。アブシャロムはダビデの息子であり、その名前の意味は「私の父は平和」でしたが、家族内の事件の故に苦みや裁きを持ち続け、父ダビデと平和を持つ事はなく、彼は父と王国を取り替えたのです。 私達も、神の御国の制服をつけ、御国を現しますといいながら、裁きや苦みを持ち続けるなら、反対の王国の霊と同意して、それの霊が働く事とパートナーしてしまうのです。聖書は私達が赦さないなら「獄吏」に引き渡すと語っていますが、それは「苦しめるもの」であり「苦み、裁き」が自分に点滴のように働き、腐敗される事を受け入れるのです。私達は赦しの中を歩く事が必要であり、クリスチャンだから聖書に従順に赦すだけでなく、正直になり、他の人の助けを借り、問題を対処して、天の父がその人や状況をどう思っているかを聖霊によって教えてもらう事が必要でしょう。

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「祝福の神学」ビル・ジョンソン

「祝福の神学」ビル・ジョンソン

第2歴代誌9  「文化と街の改革」や「神の知恵」についての6週目になりましたが、神の知恵とは「神の視野」であり、「神の方法」です。私達は神が天で神の国をどのように治めているのかを発見し、それを地上に解き放つ事をしています。私は問題から神を見るのではなく、神の視野から問題を見る事、問題の大きさに圧倒されてから神を見るのではなく神の偉大さに圧倒され、それから問題を見る事が必要です。神は人々の思考パターンを変える事をなさっています。 「物質主義」でもなく、しかし「貧しい事」が霊性の高さででもありません、返って神は「持っているものを神の栄光の為に用いる」事を私達に教えています。 「資源、創造性、高潔さ、」を主は私達に与えたいが、その内を歩むには神の知恵、謙遜さ、意図的に仕える事を持って歩む。 全て捧げた時に、主が注ぎ込んでくださる約束の祝福を私達は自分の為だけではなく、周りの人や社会に投資する、与える事が神の願いです。ソロモンが神の好意で繁栄し、また神のイスラエルへの愛の故にソロモンをおいたとシバの女王を通して預言したように、私達も神が好意や権威を下さるのは私達の為だけではなくそれを持って良く仕え、社会に影響を与えるのが目的、しかし同時に私達が神の喜びであるので、神が与える祝福を恥ずかしがったり、遠慮する必要もない。その為に「ねたみ」を追い出す事。

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