投稿者: Onfire Japan

「御座から考える」ビル・ジョンソン

「御座から考える」ビル・ジョンソン

コロサイ3:1~4 コロサイ2:9~10 エペソ1;20~ 私達が持つ傾向があります、それはある聖書の真理があまりにも大きく、それを主が啓示して下さっても軽く読み流して、わかりやすい所に進んでしまうことです。しかし私達は福音を自分が理解できるサイズに小さくしてしまうことは避けるべきです。 イエスの死と甦りは「あなたの為」ではなく「あなたとして」行われた事を知っていますか。あなたは死んでいるのです、そしてキリストが甦った時にあなたも甦ったのです。あなたは「死んだ」のであり、あなたが「甦った」のです。 コロサイ2:9「キリストの内にこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています」ということは、神ご自身のすべてを御子の中に注ぎ、一部分ではなく、全てを宿らせ、そしてあなたがたは、キリストにあって満ち満ちているのです。」これは、私達皆の頭を混乱させるような難しいことではあります。 また、エペソ1:20~ではキリストを教会に与えたと書かれています。教会、全ての信者の足の下にすべての敵を置かれています。なぜでしょうか?教会、キリストの体が治めるためです。神の御国にある統治支配、リードするとは人々を守り、神からの使命の中に押し出していく、訓練するために与えられています。この世の支配者とは違います。 「思い、マインド」は信者にとって大事な物です。贖なわれた、御言葉と聖霊によって新しくされた思いをキャンバスのように用いて聖霊様は、キリストの思いを私達の思いに与えてくれます。神の御国は「御座ーほふられた小羊」が中心ですから、キリストが考え、見て、感じる様に私達も機能するべきです。私達は自分たちの心、思いが根を張っていかりをおろしているほうの王国を人生の中で現していくのです。それは「全てに勝った真実」なのです。私達は人生の困難な中にある時に、「神様来て助けて下さい」と願いますが、主が私達を招いているのは「私達が御座にすんで、そこから生きる」ようなライフスタイルであり、天にあるものを地に持って来る、天の御国の文化で地の文化を変化と影響を与える事です。

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「改革のレポート」ビル・ジョンソン

「改革のレポート」ビル・ジョンソン

私はスイスで素晴らしいミニストリーの時を持ちました。飢え乾きと謙遜さを同時に持つ事のできる場所には非常に大きな働きを主が与える事を見てきました。 スイスのジュネーブに数日滞在し、500年前にジョンカルビンとその友人達の与えた「改革」について学んできました。ジュネーブは小さい都市ですが、国連の本部があり、赤十字やYMCAもここで創設され、優秀さ、豪華さのある会社のローレックスやカルティエもここで始まりました。しかし、今から500年前、だれも訪れたくないような腐敗し、堕落した、罪に満ちたような町でした。売春や悪事にあふれていたのです。ジョンカルバンと友人達がどうしてもと頼まれて移住して23年間の間与えた「改革」によって造られた町の土台によって今も文化、価値があるのです。都市の改革、変化ということに 私は強い情熱があります。現在イスラム圏では多くの人々が超自然的な主の幻や、夢などによってイエスを受け入れ、救われていますが、そこには理由があるとおもいます。偉大な執り成して達がイスラム圏をターゲットにして祈りました、その結果をみているのでしょう。私達の町を祈りのターゲットにしましょう。

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「今はどんな時か?」ポール・マンワリング

「今はどんな時か?」ポール・マンワリング

エステル4:13,14  ヨハネ17:1 今日は「今はどんな時か?」というメッセージをしますが、その前に、一つ言いたい事があります。それが神は決して無駄にすることなくあなたの事を準備していると言う事です。モーセは改革者ですが、赤ちゃんの時かごに入れられ川に流され、パロの娘に拾われて、王宮で育ち、後に何百のイスラエルの民を「我が民を行かせよ」とパロに語る為に王宮に戻ります。神はモーセを準備しました。王宮で暮らす事で、奴隷では決してわからない。王宮の建物、価値観を教え、後に神の宮建設の為の知識を持たせました。40年間荒野で羊を飼ったのは、羊を飼う事と何百万人の民を導く事に繋がりがあると思いませんか?羊をほふることを覚えて後には「過ぎ越しのいけにえ」として羊を民にほふらせるのです。あなたが今、「自分も荒野で羊を飼っている、こんな事をして何をしているんだ」と思う人がいるでしょう、神は何一つ無駄にせず、あなたを準備しています。 エステルはモルデカイに「あなたがに王妃になったのは、この時のためであったかもしれない」と言いますが、同じような事を預言的に語られた方は多いと思います。今はどんな時でしょうか? リバイバルとリフォーム(改革)の時です。、エステル、イエスは時を知っていました。また、時を知る事で「イッサカルの子達」は知られています。アイデンティティーを知り、時を知ると、自分が何をすべきがわかります。この3つはシナジー、相乗効果をもつのです。 リバイバルには機会、改革には変化がともにあります。そのなかで、あなたはリバイバルをもたらす者ですか?改革をもたらす者ですか?リバイバルは、個人がキリストの力と関係、御国に入り影響され、死に命が、暗闇に光がもたらされる事です。改革は、社会が御国の力と原則の影響により変わる事で、個人がイエスと関係があるかはとわれませんが、この2つが共に働く事が良いのです。私達は自分の描くリバイバリスト、改革者のイメージで自分はそれらの人ではないと勝手に資格を自分から捨ててしまう傾向がありますが、それは止めましょう。あなたはこのような時にあって、どのような者ですか?なにをしますか?

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「セックスと体」ビル・ジョンソン

「セックスと体」ビル・ジョンソン

1コリント5章、6章 私達の時代、文化の中で非常な悪影響を与えている事があります。それは「私達の先祖は猿」という進化論です。それは、創り主はいない、だからデザインもない、目的や自分の人生に対して神に対しての責任を問われる事も無いという様に導いてしまいます。 創造主の造られた物は、なんでもありではなく、一方の流れに置いて「良く、実のなる」様になっています。ですから、神の方法を無視して、一時の快楽を選ぶ時にそれは滅びに終わります。神の方法を行わず、良い結果を期待する事は間違っているのです。 パウロが性的不品行に言及しており、「このような者をサタンの権能に引き渡したのです、それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主の日に救われる事です」といいます。彼は永遠の命の事を強調して、また性的不品行を犯し、それを悔い改めない信者を「あなた方の中から取り除かない事を悲しむ」とも言っていますが、これはその人が一時的に取り分けられる事で、「神様からの躾や訓練」を受ける事の為です。恵みが罪を覆ってくれるから大丈夫というような教えがありますが、恵みは義を行う為に私達を力づけるものであり、罪を助長する為ではありません。死ぬまで罪のライフフスタイルから自由でないなら、イエスがあなたの救い主ではなく、死があなたの救い主ですと友人がいいましたが、イエスの血潮は十分です。罪を持ちながら私達が生きる必要はないのですから、助けを受けて自由を得て下さい。私達信者は、神の道徳規準を不信者やこの世に用いて測るのではなく、自分たちをそれによって測り、模範としてあるくべきであって、聖書で人々を裁いてはならないのです。

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「真の女性解放の運動」クリス・バロトン

「真の女性解放の運動」クリス・バロトン

創世記1:27、ルカ10:38、ルカ15:8  神は神の似姿で人を造った時、そのうちには「男性と女性」がいたのです。神は男性ではなく、神はご自身を適切に現す時にあたって男性と女性の両方を造られました。ですから、女性を教会の中で圧迫するなら、神の本質の半分、啓示の半分をを私達は失っている、現させていない事になります。堕落した時にイブへの呪いは「あなたは夫を恋い慕うが、あなたの夫があなたを支配する」ことでした、これは全ての男性が全ての女性を支配する訳ではないのですが、近代の聖書解釈がそのように言っているかもしれません。 マラキ書とマタイの間、400年間の沈黙がありましたが、この間にユダヤ教ができました。イエスはこのユダヤ教文化の中にこられました。旧約の律法は220くらい。しかしユダヤ教律法は670ほどあり、そのなかの100ほどは女性を制限し、弱体化させるものでした。1世紀のユダヤ教の文化では女性は男性の所有物であり、教育を受ける事は違法でした。 しかしイエスがした事は女性に教え、価値を認め、与え、力づけました、だからパリサイ人達、サドカイ人達はイエスを憎みました。マリヤ、マルタとの繋がり、「先生」と彼女達が呼ぶ事、マリアはイエスの足もとで教えを聞き、後にマルタは神学的な質問をする事、などこれらはとても過激なことです。イエスが行く所には、女性や子供達がいたが、それ自体で当時は非常にユダヤ教の文化伝統からは真っ向から違反をしていた。イエスは、ラザロをよみがえらせる前に「涙を流した」とありますが、ラザロをよみがえらせるのは4日前から知っていました、ここでイエスはマリヤの心に、ご自身の心をよりそわせ、共に泣き、「私はあなたの情熱を喜ぶ」と女性の現す、神様の情熱を喜ばれた。

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「家に帰って来る」ネイサン・エドワードソン

「家に帰って来る」ネイサン・エドワードソン

ルカ書15:11の所から私達は良く「放蕩息子」として親しんでいるたとえ話がありますが、ここでイエスは宗教家達を驚かせる事を言っています、それは「走って息子を迎えにいく父」の姿です。当時は反抗し、父母に不従順な息子は町の門に連れていって、石打にする事が文化でした。(申命記21:18~)ですから、この物語でイエスは何かを教えています。父は息子がまだ遠くにいるのにも関わらず、走って行き、抱きしめ、口づけをして、最上の上着を着せ、(父自身の上着)、指輪をはめ、靴をはかせて村人みんなの見ている前で奴隷にして下さいと思って帰って来た、ぼろぼろの息子を「死んでいたのが生き返った、失ったものが見つかった息子」として回復しました。隠れた裏庭ではなく、みんなの見ている前で行われました。 教会はどうでしょうか?息子達、娘達、今の若者達の世代を私達は「神様、彼らを家に連れて帰って来てください」と祈りますが、その時に同時に「彼らの霊的な父母を建て上げて下さい、召し出して下さい」と祈らなければ、無責任でしょう。息子達娘達が家に帰って来た時にルカ15章の父の様に、遠くから見つけ、走って行き、抱きしめ、口づけをし、回復する、そして共に彼らと家に向かって歩く霊的な父や母達が必要なのです。現在の若者は家族や家庭の中で育てられずに、愛情や注目の為になんでもする様になっています、そして孤独によって苛まれています。 教会の中で「家族」といっても、「家に帰ってくる」といっても彼らには理解できないし、私達が日曜日の礼拝を神の家族、家としてきたの同じ様には理解しないし、必要にしないでしょう。教会はあまりにも多く「兄」達によって運営されています。ですから、父や母がいず、教会の中に孤児のように建物のなかに、人々の中にただいる若者達が沢山います。霊的な父、霊的な母が必要なのです。彼らが神の使命のなかに歩いていく事を一緒に歩いていく者達が必要です。教会は新しい道を彼らの為に創造する事が必要だと思います。私達のヴィジョンは彼らが神に出会い、神の使命の中に入る事であってそれは彼らが日曜日の礼拝の集会に参加する事以上の物です。日曜日の礼拝の集会などに彼らが参加しなくても私達は受け入れる事が必要なのです。

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「丘の上にある町」ビル・ジョンソン

「丘の上にある町」ビル・ジョンソン

ヨハネ3:13 エペソ1:21~23  イザヤ60:1~5 神は驚くような事をされます。それは、個人的、グループに対して「あなたはわたしより偉大なわざをします」という事であり、私達の地上の人生は永遠への使命、父の御顔の前で造られたもの全てに栄光を現すもの為の準備なのです。イエスは「誰も天に上った者はいません。しかしてんから天から下った者はいます、すなわち人の子です」と言う様にいいましたが、これは「上げられた人生」「御座の前で生きる」として呼ばれています。黙示録4:1で「ここに上れ」とありますが、これは天の父が私達を常時、私達があがっていき、天の父の視野で物事を見、その場所にすみ、そこからよみがえりのいのちをもって働きかける事を願っているのです。 そのようにして、どんな時、場所でも私達は御国の影響を与える事ができます。神とのエンカウンター、出会いは週末にある素晴らしき出来事ではないのです。臨在によって私達は変えられる、またこの町が「王達」や「国々」がやってくる様な事を見ていくのです。私達の持つビジョンは、神の計画を行う事がひつようです、ですから自分達のしたい事を切望する祈りで神に御国をもって入って来ていただくのではなく、まず私達は「神の動労者」なので神の御心が私達のビジョンであるべきです。私は願っています、イザヤ60;1~5のように私達の輝きの故に、光の反射ではなく、輝く事によって丘の上にある町のように私達の町がなるように。

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「静まって座りなさい」ビル・ジョンソン

「静まって座りなさい」ビル・ジョンソン

ヨハネ3章、エペソ1:17、18 イエスは永遠の神の御子が人の子となり、肉を持って地上に来られて人としていきましたが、これは私達普通のクリスチャンのライフスタイル、基準を作って下さったのです。これは普通のクリスチャンがこのように生きる事ができるということです。その為の招待状、召しを私達に神は下さっています。 イエスはニコデモ達にこのようにいいました。天の事を説明するのに、ある事は地上の事を例えて説明できる、しかしある事がらは全く地上にあるものでは説明できません。あなたががたの思いを広げる事無くてはそれを知る事ができません。ですから、「知恵と啓示の霊」によって信者が神を知る事ができるのです。聖霊が啓示をされますが、それは覆いを取ると言う意味です。私達は聖霊がこの神の言葉に命を与える事をより頼んでいます、それはマリアが聖霊により頼んでイエスを身ごもったようにです。 エペソ書の中で3つのクリスチャンの「姿勢」の事が書かれています。一つ目は座る、2つ目は歩く、3つ目は立つ。座る事は「静まる事」であり、主が私達を忙しさから出て、静まり神との親密さを体験する事を招待しています。歩くとは「召しの中をふさわしく歩く」ことであり、これは必要が全て満たされているので可能なのです。あなたは甦ったイエスの中にあり、イエスの甦りはあなたのものであり、父はあなたを名前で呼び、召した時に全ての必要をあなたに与えています。甦りのイエスにあなたが新生した時に生まれ入ったのです。 そのように父は私達を見ているのです。立つとは「福音の備えをはく」事によって堅くなります。ローマ兵の靴はかかとにスパイクがあり、たつべき地面にしっかりと刺さりました。同じ様に「福音を分かち合う、御国の知らせを前進させる」事によって安定性を持つことができます。

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「知恵を求めて下さい」エリック・ジョンソン

「知恵を求めて下さい」エリック・ジョンソン

コロサイ1:27、箴言8:22~、出エジプト31 私達は新しい季節を歩んでいると思います、そしてその為に私達は知恵が必要です。ダビデの季節(戦いで土地を所有した)からソロモンの季節(知恵と平和で王国を立て上げた)に入りました。神の国を前進させる事について神は私の古い考えや世界観を壊し新しいものを見せて下さっています。以前は特定の奉仕や立場についたエリート達が御国を前進できる、だから私もそこに到達すべきだし、その人々は偶像化されていました。しかし、今は「私のアンデンティティー」が奉仕であり、私が置かれた所で神の知恵によって優れた働きをするならば、それがビジネスと呼ばれても、ミニストリーと呼ばれても良いのです。神の知恵は良いアドバイスや教えではなく、創造して生み出すものです、それが解決をもたらします。 神の御国の前進の為の戦略的な鍵は「今置かれている場所で、自分が去った後に物事が大きく増加するように、去る事を念頭にいれておく」事です。イエスが天に上げられてから、使徒の働きに入ってから神の御国が爆発的に増加した様に、あなたがいなくなった後はミニストリーや仕事が崩れるのではなく、その後にこそ拡大する事を、あなたの人生のゴールにして下さい。 あなたに必要な解決は既にあるのです、それは「栄光の希望、キリスト」があなたの内におられる事です。問題が多すぎると文句を言ってばかりなのは「否定的な取りなし」であって、問題があなたの人生にあり続ける事を歓迎するようです。あなたの解決は既にあたえられています。

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「甦り、新しい日」ビル・ジョンソン

「甦り、新しい日」ビル・ジョンソン

ヨハネ 19章 31節~36、37節の預言の言葉の独特な所は、預言者は当時の人々の状況に語られているにも関わらず、究極的にはそれが「救い主」の為の預言であることでしょう。 過去数十年、数年の間で尋常でない奇跡や癒しが起こる時に、気がついたのですが、それは私達が「~の事があるかもしれない、~は可能である」という神の全能さに 寄りかかり、そのなかを歩んでいく時に 事柄、打ち破りをもたらす事があるのです。「奇跡の領域」は神がすべてをされる境域であり、私達にはできない領域ですから、ある意味簡単だと言えるでしょう。でも、これは「トラウマを癒す」かも知れない、という小さな声、印象を受けた時にそれに寄りかかり、実践する時にそれが起こっている事を見ています。偉大な信仰は「傍観者」であっては持つ事は難しいでしょう、しかし「期待し、準備し、参加している」所には偉大な信仰があるでしょう。 34節 血と水がでてきましたが、血によって罪の赦しには解決がありましたが、それであっても水、御言葉の水により私達は洗われます。自分がわくわくする事は、私達の心が、関係が神が予定している時間を変更させてしまう事も可能であるという事です。マリヤを見た時、イエスは「自分の愛するものがいるから予定をちょっと変えて、彼女と話そう」とおもったのではないのでしょうか。マグダラのマリヤは新しい始まりにたちました、それはイエスが彼女の名前を呼んだときです。

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