イザヤ60:18、62:10、詩篇8:2 、149:6 
私達の戦い、霊的戦いは「肉と血に対してではなく、力、主権、暗闇の力」に対するものです。
私達が、主を賛美して、愛していけにえを捧げる時に主が立ち上がり、私達の敵に勝利し、私達に「あなたがたは勇士だ」というのです。喜ばしいことです。
イザヤ60:18 あなたの城壁を救いと呼ぼうとありますが、城壁はあなたを守る為です。安全の為。あなたは城壁の中にいるなら、悪魔が合法的にもっている。盗んで殺して破壊することから、敵の嘘に同意し無い限り守られます。これを新訳では、「救いのかぶと」と言います。ここでは、賛美は「門」とありますが、賛美は 栄光の王が入ってくることができる、主が来られるところです。
黙示録には「門」は真珠でできているとありますが、真珠は「不快」なことの中で生まれます。そのように、「不快」な時にあって、信仰によって、主の御人格をそこで賛美する時に「真珠」が作られているのです。ですから、苦しいこと、難しい時に敵の嘘に同意してしまうのではなく、返って「主を賛美」するのです。
私の父が亡くなった時、混乱や、苦しみがありましたが、私はそれらを「いけにえ」として主に捧げました。天においてはこれらの事はもうないので、地上でだけこのようないけにえを捧げる事ができます。62:10では「城門を通れ」とありますが、これは「犠牲を払うような賛美」をする事です。それは意図的な、慣れや心地よさを超えたいけにえを捧げる事です。それをすることによって、「この民の道を整え」という事が起こり、あなたの「犠牲的な賛美のいけにえ」は他の人がたやすく主の前に出る事ができるように、道を作る事が出来るのです。本当です。例えば、サンフランシスコでは賛美を捧げる人、福音を伝える人の2チームに人を分けて奉仕をしたら、今まで非常に難しい場所で、救いが起こるようになりました。これは、霊的な環境が清められたという事です、光で満たされたのです。
詩篇149:6「神への賞賛・ハイプレイズ」は、異言で賛美するように、流れるものであるけど、思いを通し、私達の思いを通して捧げらえる、自発的な賛美の歌です。

礼拝ー平和の戦い Worship: The War of Peace – Bill Johnson