Format: et-post-format-video

「あなたは、神の栄光です!」

あなたは、神の栄光です。 人間はみんな、神の栄光の表れです。 栄光というのは、神様によって作られた目的の只中に生きる中に表されます。 鳥が飛ぶ時に、神に栄光を与える。 魚が泳ぐ時に、神に栄光を与える。 花が咲く時に、木が実を結ぶ時に、神に栄光を与える。 人間も、神様に与えられた目的を果たすこと、神様の子供として生きること、そして他の人との兄弟姉妹としての愛の絆を育んで、その中に成長すること、これこそ神の栄光です。...

続きを読む

もっと実をならせる為の旅路

「もっと実をならせる為の旅路」エリック・ジョンソン 同時通訳:相馬伸子 エペソ2:10、ピリピ1:6、ガラテア5:22, 23、ヨハネ15章 「実をもっとならせる」ことの話を今日はします。 「あなた」は最高の芸術家である神様の芸術作品で、エペソ2:10ではまるであなたが、ギャラリーの真ん中にスポットライトを浴びて輝く唯一の芸術作品のようだと、言っています。どうですか?励まされてくださいね。 そして、神様が始めたことは、神様が成し遂げてくれます。 ヨハネ15章では「私は枝、主イエスは真のぶどうの木、天の父はまことの農夫」と言っています。イエスは彼が生きていた時の周りの情景、文化や例えを用いて語れます。興味深いです。 イエスが「わたしはまことのぶどうの木」と言っているなら、「偽物」もあるのです。枝は繋がっているところが延長されているようなものですから、もし、あなたが「偽」に繋がっているなら、そのような結果になるでしょう。 ヨハネ15:6で「わたしにとどまっていないなら、投げ捨てられ、燃やされる」とありますが、これはこのメッセージのメインポイントではなく、小さなポイントです。なぜなら、「天の父。真の農夫」の心は「あなたが実をならせ、それが増えること」ですから。もし、あなたがこの箇所を読んでも覚えていることが「投げ捨てられ、燃やされる」なら、間違ったレンズを通して見ているますね。 「取り除き」という言葉は「引き上げる」という意味です。ですから、実がない枝を父は引き上げ、掃除し、実がなるようにしてくれるのです。自分の事を「ぶどう畑」と思いますか?違います、一人一人は「大きなぶどう畑にあるぶどうの枝」なのです。だから、神様はあなたの事を大きな体の一部として見ているのです。だから、時には「刈り込み」があり、それは「この1本の枝を切ったら、あと4本の枝がでる、もっと実がなる」という事にもなりますが、あなたの勝利が周りのみなの勝利であり、誰かの勝利はあなたの勝利なのです。 「自由意志」と「真の農夫」の両方があれば、素晴らしい導きを選ぶ事が出来るので、よく世話をされた、実のなるぶどうの枝になるのですが、「神抜きの自由意志」はコントロールできない、ぐちゃぐちゃのぶどうのつる」になるでしょう。 神様は私達の人生を導きたいのです、それによって前進する時には、何かを手放す事によって昇給したり、御霊の実を実らせるための主の計画の中にはいるのです。 それらは時には私達には、恐れや心配をもたらしますが、神は信頼に値します。 日本語動画:https://youtu.be/rj1EoTlG1Bk 英語動画:http://www.bethel.tv/watch/4045/the-journey-to-bearing-more-fruit-sunday-am/2016/06/05 英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/the-journey-to-bearing-more-fruit

続きを読む

「信仰にはいくつもの見え方があります」エリック・ジョンソン

https://youtu.be/IPOPS6yrqxU ヘブル 11:1、ルカ 17:5  信仰の話をしましょう。 信仰とは、「目に見えないものを確信させる」とありますが、それはどのような事でしょうか?例えば、私の上着でマイクスタンドを隠し、同時に私が人生で一度もマイクスタンドを見た事がなく、知識もなかったとしましょう。しかし、上着をとったら、覆われているものがなくなり、その下にあるマイクスタンドが見え、人生の土台に必要な事として自分の人生に加える事ができます。信仰は「活性化」する事なしに、知ることはできません。信仰は「働かせる」事がひつようなのです。 ルカ書から見える様に、弟子達は多くのしるしや不思議、奇跡を体験し、それを見、行ってきました。 イエス様は弟子達に力と権威を与え、それを良いとされたのか、70人の弟子達をも送りだしました。 弟子達は力と権威を与えられ、癒し、悪霊を追い出し、力を持って働き、驚いた事でしょう。しかし、同時に彼らの人格の未熟な部分も同時に現れ、ついにはイエス様は彼らを叱ります。 人は、一つの事を達成すると、安定や安心を求める性質があります。大変な山を登ったなら、もうそれから先には進まず、自分は前人未到の所にきたからもう安定したい、という「クルーズボタン」を押すのですが、弟子達はそうではなく「私達の信仰を増してください」と願いました。 「自分が知らない事」「もっていないこと」を知らなければ、私達がそれを求めたり。追いかけたりすることはできません。私は以前ランディークラーク師の集会に奉仕をして当時の人生で最も顕著な癒しを見て、自分を通して癒やしも行われました。それは80%の人が癒やしを受けて、「まあまあの出来」と彼は言っていましたが、私にとっては、新しい世界であり、その旅から戻って、ベテル教会で分かちあり、祈りました。でも、1人も癒されなかったのです。私が「他の方の油注ぎの下」にいたので、癒やしが沢山起こったと啓示され、自分はまだその賜物を「活性化」させてないことがわかりました。 そして、「敗北」「恐れ」がやってきて、その時は祈ることに恥ずかしさをかんじました。敗北や、恐れがあっても、止まる許可を与えないで、そこに根を下ろさないでください。神の声が聞こえるまで「主よ、わたしに信仰を増してください」といい続けましょう。そして、自分より大きな信仰の領域を歩んでいる人々、状況にいって、「主よ。わたしに信仰を増してください」と願う事ができる心に覚醒することを励まします。 English Podcast: http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/faith-has-many-faces–2

続きを読む

人生の歌

「人生の歌」ダニー・シルク Song of Life – Danny Silk ハバクク1:1〜4、2:1〜2、3:1、2 ハバクク書から「人生の歌」を見ていきましょう。 ハバククは「自分の周りにある不義、暴虐」を神様に訴えていますが、あなたはどうでしょうか? あなたのまわりの出来事は、あなたにとって「正しさの基準」を麻痺させるような働きになっていませんか?インターネットやメディアを使って、誰かが、私たちの「正しさ」の基準を麻痺させようとしているのです。世界中の恐ろしい出来事があなたの目の前にやってくる事もネットによって可能です。 何にたいして「心が動かされる」事かはひとそれぞれ違うのですが、あなたはあなたの心が動かされたを「重荷」として受け取ることでいいのです。ハバククはまず最初に「重荷」を「文句」として神にぶつけていますが、それは、祈りです。そしてハバクク3:19には「指揮者のために弦楽器に合わせて」とありますから、祈りに音楽がつけば、それは歌ですね。ですから、「人生の歌」と私は呼んでいます。 「神よ、なぜこんな事を」と「なぜ!!」と聞いている時には答えはきません。「なぜか」という事は質門ではなく「あなたの答えを却下する、もう一度他の答えをせよ」といっているのですからね。しかし、ハバククも、「なぜあなたは何もしないのですか?」という所から「私は何をしたらいいのですか」という場所に移されるのです。 そして「わたしは、なにをしたらいいのですか」ということは、ビジョンを得たことです。最初はビジョンがはっきりしなくても、書き出してください。書き出すなら、書き続けていくことで、そのビジョンはだんだんとはっきりしていきます。そして、そのビジョンによって、天からの「満たし」がやってきます。問題は、フラストレーション、重荷となり、ビジョンとなり、天がそのビジョンから地に解き放たれることになるのです。 ビジョンは天にあって、あなたに見つけられ、歌われることを待っている歌の歌詞のようです。書き出すことによって、チャンス、機会が、あなたの人生の上にある好意と共に働くことでき、チャンスや好意はあなたの所にやってきます。天が地で解き放たれる、立てあげられるためです。 そして、3章でハバククは 主よ、わたしはあなたが過去にやったみわざを聞きました。どうぞそれをまた、行ってくださいと言っていますが、これは証しのことです。ベテル教会のリーダーの会議は、かならず「神様がしてくれた良い働きの証しをしましょう」といって、視野を正しくしてから、問題に対処します。 最初に 神を高くすることで、問題は小さくなってくるのです。 そして、最後、いつも主にあって喜んでください。ハバククのように「しかし、わたしは主にあって喜び勇み、わたしの救いの神にあって喜ぼう」と「私の主、神は私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる」といいましょう。 https://youtu.be/Msz–NwA-Ok

続きを読む

お父さんからあなたへのラブレター

ここに記されている言葉は、真理です。あなたの人生を変えることのできる言葉です。これらは、神様の心から発された言葉です。神はあなたを愛しておられます。神は、あなたが探し求めてきた父なるお方です。これは、そのお父さんからあなたへのラブレターです。

続きを読む