「自分の必要を認める心に留まる事」ビル・ジョンソン
自分の必要を認める心に留まる事ー ルカ4;18 イエスはナザレの町のシナゴーグで重大なアナウンスをしました。それは「貧しい者に福音を告げ、囚われ人を解放し、盲人の目を開く」というイエスの使命、神が与えたミッションについての事でした。主が語られ、それは遂行されました。 しかし、この時ナザレの町は神が選び、与えた「救い主の働きの始まり」を見る、またその為の場所としての大きな瞬間を受け取る事を失敗しました。それは主の言葉を聞き、「皆がイエスを誉め」「恵みの言葉に驚いた」が不信仰によって、イエスがヨハネの息子である事を知っている事=特別な事である訳が無い/いつもの事であるという霊によって、「啓示」を人間の理論で理解しようとして、素晴らしい神の計画を歩く事ができませんでした。彼らの不信仰によってイエスは大きな働きをする事ができなかったと他の福音書で見る事ができます。「啓示」は人間の理論的な論理的思考によって理解はできず、逆に人間の理論的な論理的思考は啓示(神中心、神からの考え)により従属し、理解されるものです。私達は理解して信じるのではなく、信じるから理解するのです。 「慣れてしまう事/特別な事であるはずが無い霊」は不信仰の中にあります。私達が今も、素晴らしい奇跡や超自然的な事を見ていますが、この霊に影響されると奇跡をランク付けたり、自分の欲しいものだけを受け取るような「飢え乾き」のない、また自分の必要を認めず神様の働きを傍観するような、「もっと下さい」ばかりいってもらったものを、実践する事が無いような人になってしまうでしょう。もっと下さい、とばかり言わないで、何をもらったのかを知るために、良い管理人として実践してください。
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