「信じる為に見る事」ビル・ジョンソン
創世記 15章、30章 マルコ8章、ヘブル11:24〜26 今日は「見る事」の話しをします。信仰は現実が無い事ではなく、かえってより優れた偉大な現実がある事を信じる事です。目に見える物は一時的であり、目に見えないものは永遠であるとパウロは言っていますが、私達は信仰によって神の全ての領域に対して働く解決、満たしを引き出す事ができるのです。 マルコ8章で弟子達にイエスは「見えないのか?聞こえないのか?覚えていないのか」と聞いていますが、これは「想像する」ことではなくすでに弟子達とパラレルにある、見えない領域にある事を見る様に教えていたのです。ですから、見る事は信仰と深く根を指しています。 ヤコブは家畜がさかりがついた時に、彼らが見える様にまだらに皮をはいだ枝を地面に指し、結果としてぶちやまだらの家畜が増えたと創世記30章で見る事ができます、これは「私は私の目が見ている物を増加して生み出す」という事です。 ヘブル11章「目を離さない」事は、何千の声を拒否して、ただ一つの声、イエスの声を聞く事ですが、これは頑張りや熱心な働きからすることではなく、委ねきった関係からできることです。気楽な関係ではなく、心ではっきりと「私は他の声を拒否し、ただ一つ主の声だけを聞き、価値を置く」事です。
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