投稿者: Onfire Japan

「王家の者が豊かに与える事の力」ビル・ジョンソン

「王家の者が豊かに与える事の力」ビル・ジョンソン

2歴代誌7章、1列王記10:13 、使徒11 継続して「ソロモン」の人生から新約の時代のクリスチャンの歩み方の話をしましょう。私はソロモン王の人生は 預言的であり、主が先駆けとして、私達新約時代の信者がどう歩むか、また神がどのような奉仕、働きの上に建て上げたかという事を話していきます。王については旧約の歴史と新約聖書からの神学によって「聖書的」な王の姿がねじ曲げられていると感じています。 この世の王は民の力、賜物、人生を使って自分の帝国を建て上げます、しかし神の王国の王はイエスです。イエスは王としてこられましたが、イエスは王の立場、父からの好意を使って人類に最良の形で仕えられました。王の心を持って仕え、僕の心を持って治め事です。また、「王家の者にふさわしく豊かに与える人生」を私達は限り無ない資源を持つ天の神を父とした子達ですから実践する事ができるのです。与える相手の必要にあわせるのではなく、王家の者として限り無ない資源にアクセスをする事ができる、周りの人々や地域を愛する者としてのアイデンティティーから、「惜しみなく与える」事ができるのは私達のアイデンティティーが移行した後に起こる事でしょう。これは、「文化を変革し、人々が内側から変えられる」事のできる力強い道具なのです。敬う事の為に与える事は神の王国の文化です。

続きを読む

「夢を持つ者が運命を造る」ビル・ジョンソン

「夢を持つ者が運命を造る」ビル・ジョンソン

1列王記8:14~19, 66  箴言4:3~9 ソロモン王はついに神殿をエルサレムに建て、宮を主に捧げました。そして民は「主がダビデに与えた好意と喜んだ、恵みを喜んだ」とあります。ダビデは既に死んでいました。神の価値観は、神と共に「流れ」「ムーブメント」を作るため為に犠牲を払った人たちを覚え、尊ぶ事です。それは、父達と言えるでしょう。パブテスマのヨハネはエリシャではなく「エリヤの霊と力」によってと書かれています。 エリシャはエリヤの2倍の油注ぎを受け取りましが、彼ではなく、父であったエリヤ、代価を払った方に対しての誉れをみる事が神の視野です。 ソロモンの父ダビデの夢は主の神殿を常設に従ったが、主は「あなたの腰から出るもの」がそれをする、と語った。私達の夢や願いは私達がどのような所と交わり、何を思いめぐらせるかによって導かれて形作られます。 ダビデは神によってあなたが神殿を建ててはならない、あなたの腰から出る者がそれをする。と語られた時から何かがかわりました。ダビデは素晴らしい礼拝者、軍事的なリーダー、しかし父としては多くの葛藤があり、多くの失敗がありました。しかし、ダビデの「神の宮を建てる」という夢の故に 息子ソロモンに知恵について教え、バテシバと共にソロモンを「神の神殿を建てる事を実行する者」として準備し、育てます。父として全く変わったのです。 夢をみる事ができない、幻のない父達は 天からの運命のない息子達息子達を 生み出してしまうのです。

続きを読む

「祝福される時に試されること」ビル・ジョンソン

「祝福される時に試されること」ビル・ジョンソン

1列王記3章 2歴代誌22章8節  イエスの願いは「地域が変革されるため」であり共同体、地域のグループには神からの召しと使命があります。それは個人や1教会の中では現しきれない「神の御国」があるからです。そして地域に影響を与えるために「神の知恵」イエスの考え方を私達が持つ時です。ダビデは勇者で戦いの人であり、王であり優れた軍事的力を用いた。まるで新約聖書時代の信者の生活を生きたような、神の臨在と油注ぎの下で生きました。神の宮を建築するこ事を願ったが、神は許さなかかった。 息子ソロモンは平和の人であり、超自然の賜物である神の知恵を求めました。彼の統治下でイスラエルは最も栄えました。神はソロモンに神の宮を建築させた。ソロモンの統治下のイスラエルは非常に繁栄し、彼は最初は良い始まりでしたが、終わりは多くの失敗と悪い結果を生み出しました。旧約の時代の働きは「罪の深刻さを示す」ことでありそこには解決がないが、イエスが来てからの新約の働きは「解決を示す」ことである。 主の祝福、繁栄を受けて豊かになったソロモンは、自己中心になり、主の御心でない生け贄を捧げた。祝福や繁栄を主から受け取ったときに私達への試み、戦いは主の聖さをおろそかにしないことや、主の戒め、教えを軽んじないことである。主が与えたものを自分の良いように使うことなど。祝福は危険でもあります。 神は私達神の民をいつも祝福と打ち破りをもって導きたいと思っていますね。それは、私達が自分の利益の為に祝福を用いるのではなく、しもべとして仕える心を持ち続け、この世の人、周りの人に解決をもたらすためです。主はしもべたちが与えられた主に求める権利を使って願うことを待っています。

続きを読む

「悪霊をホームレスにする」ビル・ジョンソン

「悪霊をホームレスにする」ビル・ジョンソン

2コリント10:3〜6、2テモテ2:1〜4 私達の思い、考えのパターンは重要です。「何を考えるか、思いめぐさせるか」によって私達は見えない領域に対して同盟を結び契約をする事になります。霊的戦いは神が私達に与えた仕事の一つであり、私達は悪魔の策略に無知であってはならないとパウロは教えています。 悪霊は信者より劣勢で権威は無いが力はあります。優勢の信者であっても、無知によって劣勢である悪霊の影響を受ける。神が権威を与えた一人の人アダムが悪魔の声を聞き、その考え方に同意した事により悪魔は権威を人の上に持つ様になりました。思いに同意する事は、誓約を結ぶ事になるのです。ですから「全ての思いをキリストに従わせる」事、思いを新しく一新する事は、最初の1人が結んでしまった悪魔との契約を自分の人生、地域や国の運命の為に必要です。 聖書で「神が我がやぐら、わが巌」と判りますが、要塞とは「安心、養い、力、平和」などのある場所であり、その要塞は私達が「神の言葉、神の考え、キリストの思い」 によって「神」が要塞となり、また無知によって「悪の考え、悪魔の国の価値観」によって悪霊が住み、そこから人に影響を与える場所をつくります。リーダー達の為に、油注ぎをもって祈りましょう、彼らの考え方を操るのではなく、祈りによって、信者の考え方によっての空気/見えない領域への影響力が増える事によってリーダー達の目が開かれ、神からの助言を受ける事ができるように。

続きを読む

「今日がその日です」エリック・ジョンソン

「今日がその日です」エリック・ジョンソン

詩篇188:24 、哀歌3:22、23 「これは主が設けられた日である。この日を楽しみよろこぼう」 私達の教会、家族には「預言的」な文化がありますが、それを私は喜んでいますし、もっと預言するべきだと思っています。でも、一つ思う事は、預言的な文化によって「将来に起こる事」に焦点を当てすぎるのではなく「今、今日、自分が生きている日」に目を向けて生きる事が大事だと思うのです。 昨日には何もできませんし、明日はまだないのです。しかし、今のこの瞬間を生きる事が明日の土台を作るのです。あなたにとって最悪の時、一日でもそこから主は現れたいのです。そして「今、この日」は主がつくられた日なのですから、私は「喜び、楽しむ」ハッピーである事を大事にしています。私達の教会では「ハッピーな人がどれくらいいますか?」と集会の時に聞きますが、これは私達が確かに追い求めている事だからです。現実逃避するような不健康なハッピーではなく、主が造られ、目的と理由をもって造られた一日です。選択できます、するべきですね。 優秀さや高品質を持って物事を達成する事も、この教会の情熱ですが、今はそのなかにあっても、新しい神の流れ、聖霊の風を妨げずに新しい「未開の地」「誰も知らない所」に進む、変化の時です。ですから、時には「めちゃくちゃ」であり「見かけがよくない」時があるでしょう、それでも私達の季節はすでに「新しい、未開の土地」に入って行く時に変化したとおもいます。

続きを読む

「誘惑についての初級のクラス」ビル・ジョンソン

「誘惑についての初級のクラス」ビル・ジョンソン

ヤコブ1章13、14節 マルコ14章 「誘惑」というのは状況や私達の周りにある事柄が、私達の心の内側にある問題や葛藤よって「誘惑」になるのです。 ヤコブ1章13節で言っていますが「神は誰をも誘惑に導かない」と、しかし主の祈りをイエスが弟子たちに教えた時に「私達を誘惑にあわせず」といっています。神が私達を誘惑にあわせるのでしょう?違います。誘惑とは私達の心の中にある問題や葛藤が状況や事柄にどう反応するかであり、それに引き寄せられて罪を犯すのです。 同じ事柄がある人には誘惑になり、他の人には全くそうでない、そのような事です。 マルコ14章で、イエスはペテロに「あなたは私を裏切る」と事前に教え、「起きていて、祈りなさい」と教えました。それは私達の中に自分の気がついていない弱さ、欺きがあることを「知り」、祈り恵みでそれを予防して、そこで失敗せずに成功する為でしたが、ペテロや他の弟子もそれをミスしました。ペテロが自分の中に「自分に信頼する事/自分は大丈夫だと思っていた事」があった事を彼は知らなかったけれど、イエスは裁きや恥をもたらすので無く、恵みと憐れみでそれを教えてくれて私達が祈ることで主に信頼をおいて自分の「正しい事ができる」能力に信頼せず、主の恵みの中を歩く事を助ける、導く。 心を開いて「自分も失敗をする可能性がある事」や「弱さ」を認めるなら、助け、恵みを受ける為に「誘惑にあわせず」と祈ることができる。私達は「起きていて、見て、祈る」事をするのです。

続きを読む

「愛がすべて」エリック・ジョンソン

「愛がすべて」エリック・ジョンソン

今回は中近東のイスラム教国の出身の「友達」に証しをしてもらいます。 私はイスラムの教師の家庭の10人目の娘です。熱心なイスラム信者として子供の時から真理と神を探し求めました。しかし、国は戦争で荒廃し、死が毎日目の前にあるような暮らしでした。食料配給の列で銃撃戦になった時、イスラムの神に祈り助けを求めましたが、何も起こらず絶望し、「アブラハムの神、ヤコブの神、イサクの神、イエス」に助けを求めたら奇跡的に助けられ、格闘技による宣教師にであい、聖書を読み、イエスが夢に現れ、教会に導かれ、最初の礼拝で聖霊の満たしを受け自由を受け取りました。私の変化で姉たちも救われましたが、私は伝道を止めないので、家族が私にイエスを捨てなければ殺すと私をひどい目に遭わせましたが、イエスが私に赦しと祈りと断食を導き、結果的に姉たち、兄たち、母そして父も奇跡的な癒しを受けて、イエス救い主として信じました。教会がアルカイダのテロで爆破され、自分も死に天国に行きましたが、主が私に天国にいたいか、それとも地上に戻りたいかと選択をくれたので、私は戻りました。全身の皮膚が焼けただれ、目も見えない、頭蓋骨も穴があき脳が見えるような状態から奇跡的に癒され、目は3日で見え、皮膚は一年後に新しい皮膚になりました。 皆さんに神の赦し、愛を受け取ってそれを流す器として歩く事を励ましたいです。

続きを読む

「聖別できることの喜び」エリック・ジョンソン

「聖別できることの喜び」エリック・ジョンソン

ダニエル1章 私達が神の御国を満ち満ちて受け取る為に、どうしても変化すべきなことがります。それは「人類は良いものであり、良い事を行う」ためにあり、「邪悪であって、悪い行いをする」という考え方や神学を変え、神の視野にそって適応していかなかればならないと言う事です。十字架の前から神は人類を愛していました。怒りの神が十字架で満足して今は良い神なのではありません。 ダニエル達が王の食事で自分が汚れるのではなく、野菜と水を食べる事を願い出た時に、神はご自身の好意を世話係にあたえました。私達は神に導かれていった場所でも「適切さ」や「受け入れられるため」に妥協する事無く、純粋さ、聖さを保ち、自分を聖別することを情熱を持ってする事が必要です。純粋さ、聖さを保つ事は「しなければならない」ことではなく「する事ができる特権」なのです。ダニエル達はネブカネザル王の下で訓練され、王宮で仕えました。この王は邪悪な王でしたが、神は目的があってこの4人の青年を送ったと自分は信じています、そして今現在も多くのダニエル達が神の目的の為にネブカネザル王の王宮の様な状態の社会の場所に送られているのです。しかし、私達信者はダニエルのような信者達の「ネブカネザル王の王宮で仕える」事を恥じ、教会の繋がりから追い出し、切り取り祈りやサポートを止めるのです。 なぜですか?私達は考えを変える事が必要です。

続きを読む

「憐れみが奇跡を導く事ができる」ビル・ジョンソン

「憐れみが奇跡を導く事ができる」ビル・ジョンソン

イザヤ35章 ヨブ記22:28~30 イエスは憐れみによって動かれました。憐れみは奇跡を導く事ができます。しかし、信者の不信仰を受け入れたり、励ますような事は 憐れみではなく、それは同情することであって、イエスが問題や状況に解決をもたらした方法とは明らかに違います。そのような状態に直面する時にも「しょうがない」といって自我を励ますのではなく、愛して、祈って、御言葉を宣言する事は私達信者のする事です。神の言葉を宣言し、心騒ぐ人に「恐れるな」と語る時、「神が来て救われる」と先に語る時に、超然的な癒しが起こっている事をイザヤ35章から見る事ができます。 私達が御言葉を人々の上に解き放つ時、それは一時の慰めではなく、その人の上に神が働く事ができる「的」を置くようなものです。神の御国を解き放つ事のです。神は全人類を愛していますが、このような場所は神が働きやすい、御国が侵入しやすい雰囲気になるのです。私達の宣言、事を決める事、によって神がそれをなしてくださるのです。あなたの好意、手の聖い事で神が働いて下さるのです。

続きを読む