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「あなたは拒絶された花嫁ではないよ!」日本の教会へのメッセージ Message to the Japanese Church – You Are Not A Rejected Bride

タラブローダー師は、日本に来る前の導きと証しをします。日本の教会は、主に忘れられた、拒絶された花嫁ではありません!とても励ましのメッセージです。どうぞ、聞いてください。 タラさんは、2015年3月25日〜28日、東京の中野zeroホールにて、セミナーを行います。今日もある方は、詳細をご覧ください: 詳細:http://kingdom.holy.jp/event/page002/ 通訳:リンスコット綾 Tara Browder shares her...

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「十字架は、罪の赦しだけじゃないよ!」贖罪の意味

これまでの3回は、十字架の勘違いを見てきました。 罪、罪人を見ることのできない神様ではなく、私たちがまだ罪人であった時に、救いに来られた神様です。 イエス様は、神様に捨てられて、神様から離されたのではなく、三位一体の神様がキリストの体の中におられ、一緒に十字架につけられました。 イエス様は、怒っている神様に殺されたのではなく、私たちとして、私たちのために、罪人の手に渡されて殺されました。 十字架を通して、神様は、実際に何を成し遂げられましたか?...

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「神様の怒りはイエス様に注がれなかった」十字架の勘違い3

説教で、これをを聞いたことがあるでしょうか? 十字架につけられたイエス様に、神様の怒りが注がれ、イエス様は死なれ、神様の怒りをなだめました。 神様が、私たちの代わりに、イエス様を罰せられました。 結構有名な賛美歌でも、このメッセージを伝えています。 しかし、これも、大きな勘違いがあります。 その勘違いの原因は、いろいろありますが、一つはイザヤ書の救い主に対する言葉53章の御言葉です。 イザヤ...

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神様は二重人格ですか?「十字架の勘違い、パート2」

イエス様は、十字架の上で、神様に見捨てられなかったことを、前回紹介しました。 そのことによって、私たちも、絶対に、神様に見捨てられることはない、と確信を持つことができます。感謝ですね! 次のことは、似ていますが、少し違う角度から見てみたいと思います。 多くのクリスチャンは、神様、つまり天のお父さんとキリストは、十字架の上で、別れてしまったと思っています。...

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「十字架の勘違い」パート1

今日は、十字架についてのいくつかの勘違いを見てみましょう。 十字架は、私達クリスチャンには、信仰の一番中心、一番美しいことであるべき、本当によく理解しなければならない事です。 今日からは、3回に分けて、神様の十字架の御業を見ましょう。 この話を通して、イエス様の十字架がどれほど素晴らしく、神様の愛はどれほど大きいのか、私たちがもっと理解できるように祈っています。...

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「あなたは、恵みによって救われた罪人じゃないよ。」

エペソ1:1を読みましょう。 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの汚れた罪人たちへ。 え?違いますよね。罪人ではなく、聖徒と書いてあります。 そうです。 あなたは、恵みによって救われた罪人ではなく、罪人でしたが、あなたは、キリストを信じて、罪人の性質の自分が死にました。 あなたは、神様によって新しく生まれ変わり、キリストの中に置かれ、神の義となりました!...

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「悔いのない悔い改め!」

「悔い改めなさい!」は、キリスト教でよく聞く戒めのひとつですね。 旧約聖書から新約聖書まで、「悔い改める」という言葉は、日本語の聖書の訳によりますが、多くて150カ所で使われています。 この「悔い改め」という日本語は、新約聖書ギリシャ語のメタノイアの訳語です。 イエス様が実際に使った言葉はおそらく、ヘブライ語の「シューブー」と考えられます。 日本語でいう「悔い改める」の背景を理解しましょう。 これは、日本特有のキリスト教用語です。...

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「神を愛することは、一番じゃない!」

クリスチャン生活の中で、最も大切な事は何でしょうか? 多くのクリスチャンは、この質問を聞くと、「当たり前!神を愛することだ!」と答えます。もちろん、その理由は、イエス様の言葉ですね。 しかし、クリスチャン生活には、もっと大切な事があると思います。 心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛することよりも、遥かに大切な事があります。 そのことを紹介する前に、このイエス様のことば、「神を愛せよ。」の聖書の言葉をもう一度見てみましょう。...

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「天国がくる時」ビル・ジョンソン

マタイ6章:「主の祈り」の中で「あなたの王国が来ます様に」「あなたの御心が天でおこなわれているように地でも行われます様に」と私達は祈りますが、この聖書箇所がギリシャ語の文法で正しければ「あなたの王国が来る!」「あなたの御心が天で行われているように、地でも行う!」と言うように私は言い換える事ができると思います。イエスが「人の子」としてした全ての事は、もし主が「神」としてそれを行ったなら、私自身は傍観者となる事でしょう。 しかし、イエス人としての制限の中で「父との関係の中」で全ての事を行い、イエスご自身の罪が無い状況も私達はイエスを信じる事で受け取ります。だから私は「傍観者」にはなる事はもうできないのです。イエスは普通のクリスチャンの基準です。イエスは祈りが聞かれない時にどうするか?は教えませんでした、聞かれない祈りは無いからです。祈りは人類と神とのフェローシップ、交わり、友情にあっての呼吸であり、会話です。私達は神の心を知り、神の心を動かす祈りをする事ができるのです。 YouTube で見れます: http://www.youtube.com/watch?v=ekpCmKgX3ZY

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