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「勝利のために戦わないで!」

「イエスは勝利を既に取られた」という素晴らしい賛美歌があります。 これは真理です! 十字架の上で、イエス様が、詩篇22:31節を引用して、「完了した」と宣言されました。 「成し遂げられた」 「すべてが終った」 「救いの業は完了した」 「何もかもなしとげた」 という、様々な日本語の訳があります。 イエス様が引用した詩篇22:31を見ると、訳によって少し違いますが、同じように、 「成し遂げてくださった恵みの御業」 「主のなされた義」...

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「既にあること、更にもらえること」

既にあること、更にもらえること、いただけることについて、しばらく考えていきたいと思います。 多くのクリスチャンは、キリストにあって既にあることを、いつも祈りや自分の努力によって、更に獲得しようとしています。 こういう場面を想像してみてください: 毎朝、奥さんが起きる時に、ご主人に尋ねます:「あなた、愛してくださいますか?一緒にいてくださいますか。確認したいだけです。あなたと今日も結婚していますよね。」...

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「教会に集っていないクリスチャンへのメッセージ」

前回は、教会に行く義務について話しました。(「教会に行く義務は?」のメッセージをまだお聞きでない方は、先にお聞きください!) その中で、教会に行く義務はありませんが、エクレシア、生ける石として主の宮に建て上げられるためには、頭なるイエス様と繋がっているそれぞれの器官が集まり、励まし合う必要があるという話しをしました。 今日は、特別に教会に集っていない人を励ましたいと思います。 毎週、日本の教会の出席率は、人口の0.22%と言われています。※...

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「教会に行く義務は?」

キリストの体、キリストにある兄弟姉妹、教会、つまりエクレシアは、主に呼び出された者達、聖別された者達として、集まる理由が沢山あります。 この地上を歩き回わり生きている主の宮として、不思議に神様と結び付けられていることによって、お互いに不思議に繋ぎ合わされているものが一つのエクレシア、教会です。...

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「神様との不思議な結合」

前回は、聖霊にあって、私たちの唯一の義務は、愛し合うことだと、聖書の言葉を通して見ました。 そうです。 私たちは、キリストにあって、完全に自由となり、祈り、聖書を読み、断食を通してもっと理解する、経験する、また楽しむことができます。しかし、キリストにある私たちの神様との不思議な結合を更に強固にすることはできません。人間の結婚のように、神様との結合は事実です!...

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「私たちの信仰の唯一の義務」

日本の社会では、義務を果たす事をとても大切にします。 子供は、小さい頃から、他人に対しての義理や、また社会に対する義務や責任を果たす事について教えられます。 多くの人は、クリスチャンになる時も、更に神様にも果たすべき多くの義務があると感じます。 しかし、この順番が大切です。まず、キリストにある自由を経験しなければなりません。 義理や義務、責任から自由となった経験ですね。...

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「神様の怒りを理解するために」

神様の怒りについて少し考えましょう。 神様の怒りは、本当に勘違いされていると思います。 まず、私たち人間は、神様のイメージによって造られたのに、いつも神様を自分のイメージによって作り直そうとしています。 この場合、私たち人間、特に人間のお父さんは、怒りっぽい、いつも怒っているイメージがあります。 いつ怒るかわからないし、多くの子供は、毎日不安を感じながら生きています。 「地震、雷、火事、親父」...

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「サタンの作戦を知ること」

サタンに注目はしませんが、その作戦を知ることは勝利への道です。 アダムとエバの誘惑、そしてイエス様の誘惑を見ると、私たちのための大きな鍵がわかります。 We do not focus on the devil but we need to know his strategies! That is a key to daily living in victory. Looking at the temptation of Adam and Eve,...

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「あなたの信仰ではないよ!」

前回は、「神様のために働かないで!」のテーマで、「神の業」と「私たちの業」、つまり神様の働きと私たちの働きについて少し話しました。 全てのクリスチャンは、基本的にこの話に賛成しています。 そうです。救いは私たちの働きとは関係なく、キリストが無償で与えてくださったものだと信じています。 この恵みのメッセージの象徴的な御言葉は、エペソ 2:8です。 エペソ 2:8...

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「神様のために働かないで!」

今日からしばらく「神の業」と「私たちの業」とその違いについて、数回に分けて話したいと思います。 昔から、人間は、目で見えない神様の御心を知りたかったのです。 祈りの中で、断食、自分を卑しくするまで、人は、神様の祝福を得るために、「神様、何をしなければいけませんか!?」と叫び求めました。 今でも、あらゆる宗教が、キリスト教の中でも多くのクリスチャンが、この質問と葛藤しています。 「神様!私に何をして欲しいですか?!」...

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