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「ネブカデネザル王に仕える」エリック・ジョンソン

「ネブカデネザル王に仕える」エリック・ジョンソン

ダニエル1章、3章 既に始まっていますが、主が私達を「ネブカデネザル王」にダニエルを送り、そこでダニエルが仕えたように私達信者が、私達の土台的価値観と逆行する価値観や文化の社会の中で仕える時だと信じています。神は信者だけを愛するのではなく、全ての人を愛しているのです。 ダニエルはどこが違ったのでしょうか?「仕える心」を持っていました。そして、「自分をけがさない事に心を定め」た時に、神は好意、必要、能力を彼らに与えたので、 ダニエル達はネブカデネザル王に、私の呪法師より10倍勝っていると言われました。私達は世に出て仕える時、「自分が周囲と同じ様であり、受け入れられるために妥協し、その後に神の事をします」と言ってしまいがちですが、ダニエルは反対に最初から、自分を周りによってけがされない事に心を定め、また後に燃えさかる炉に落とされても自分は神を礼拝する、またライオンの穴に落とされてもネブカデネザルは礼拝しないと心を定めていました。神はネブカデネザルを愛し、ダニエル達を送った。私達も愛をもって、仕える心を持って、仕えます。心を定めることによって「世に同調しない、汚されない」事は恵によって可能であり、それによって神が彼に与えた好意や繁栄を覚えてください。

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「心から赦す事」ダニー・シルク

「心から赦す事」ダニー・シルク

私達は相続を2つの流れから受け取ります。一つは「敬う」事によって、もう一つは「裁きや苦みを持ち続ける事」によってです。アブシャロムはダビデの息子であり、その名前の意味は「私の父は平和」でしたが、家族内の事件の故に苦みや裁きを持ち続け、父ダビデと平和を持つ事はなく、彼は父と王国を取り替えたのです。 私達も、神の御国の制服をつけ、御国を現しますといいながら、裁きや苦みを持ち続けるなら、反対の王国の霊と同意して、それの霊が働く事とパートナーしてしまうのです。聖書は私達が赦さないなら「獄吏」に引き渡すと語っていますが、それは「苦しめるもの」であり「苦み、裁き」が自分に点滴のように働き、腐敗される事を受け入れるのです。私達は赦しの中を歩く事が必要であり、クリスチャンだから聖書に従順に赦すだけでなく、正直になり、他の人の助けを借り、問題を対処して、天の父がその人や状況をどう思っているかを聖霊によって教えてもらう事が必要でしょう。

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「祝福の神学」ビル・ジョンソン

「祝福の神学」ビル・ジョンソン

第2歴代誌9  「文化と街の改革」や「神の知恵」についての6週目になりましたが、神の知恵とは「神の視野」であり、「神の方法」です。私達は神が天で神の国をどのように治めているのかを発見し、それを地上に解き放つ事をしています。私は問題から神を見るのではなく、神の視野から問題を見る事、問題の大きさに圧倒されてから神を見るのではなく神の偉大さに圧倒され、それから問題を見る事が必要です。神は人々の思考パターンを変える事をなさっています。 「物質主義」でもなく、しかし「貧しい事」が霊性の高さででもありません、返って神は「持っているものを神の栄光の為に用いる」事を私達に教えています。 「資源、創造性、高潔さ、」を主は私達に与えたいが、その内を歩むには神の知恵、謙遜さ、意図的に仕える事を持って歩む。 全て捧げた時に、主が注ぎ込んでくださる約束の祝福を私達は自分の為だけではなく、周りの人や社会に投資する、与える事が神の願いです。ソロモンが神の好意で繁栄し、また神のイスラエルへの愛の故にソロモンをおいたとシバの女王を通して預言したように、私達も神が好意や権威を下さるのは私達の為だけではなくそれを持って良く仕え、社会に影響を与えるのが目的、しかし同時に私達が神の喜びであるので、神が与える祝福を恥ずかしがったり、遠慮する必要もない。その為に「ねたみ」を追い出す事。

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「臨在が土台であること」ビル・ジョンソン

「臨在が土台であること」ビル・ジョンソン

詩篇25:13 1列王記3章 使徒2:46 詩篇25:13で、「その人のたましいは幸せの中に住み、その子孫は地を受け継ごう」とあります。あなたがある分野で打ち破りを経験するなら、あなたの子孫達は同じ葛藤を経験せず、あなた以上の繁栄を経験する事が神の願いであり、イエスも「あなたがたはわたしよりも偉大な事をする」と言っています。3ヨハネでは「たましいが繁栄するようにあなたの霊と体も」とありますが、神の御国が信者の内側に建てられるとそれは信者を通して周りに影響を与えます。あなたの経験した打ち破りによってあなたが神の御国の環境を持って生きる時にあなたの子孫はその上に成長するので、実際の相続、地を受ける事ができます。 ダビデは「臨在の人」でしたが、ソロモンは自己中心の混ざった心によって主を礼拝し、神に完全にはより頼まず、独立する事をしてきました。ソロモンは「臨在が土台である、臨在の原則の人」なれるはずだったのが、「知識」によって高慢になり、「原則の人」となった。知識があって高慢にならないのは「臨在の経験」が伴った時だけである。ソロモンは神の方法でない、間違った同盟関係を結んだ。国々との平和を外国の姫達と結婚する事によって「妥協」して実践した結果、妻達が彼の心を神から反らせのです。ソロモンは「神との関係を毎日新しく結ぶ」ような初代教会の持っていた「初めの愛」を持つ事ができなかったのです。 私達は「臨在を持ち運ぶ民」となって、どこにいても、何をしていても主の栄光と臨在が私達から流れ出るようになりたいのです。私達はキリストの香りを放ち、「知識を体験できるため」の存在とされたのです。

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「知恵によって敵がいなくなる」ビル・ジョンソン

「知恵によって敵がいなくなる」ビル・ジョンソン

1列王記4,5章 エペソ10章11節、イザヤ60章、ローマ5章17節 ソロモンは神に知恵を求めた箇所はよく知られていますが、彼は「聞く耳」を求めた結果、神は「知恵を与えよう」と言われました。神の知恵とは新約時代の今はイエスキリストです。神は「聞く耳」を持つ人々を建て上げています。 ソロモン王が宮を建てる前にも、すでにイスラエルは非常に繁栄していました。そして、ソロモンは「主は私の周りに平和を下さったので、私には敵がいません」と手紙に書く事ができたのです。どういう事でしょうか?神の秩序が完全に現れ、主の臨在を求める事によって、敵(悪魔)が打ち破って入ってくる事ができない様になったのです。ソロモンは父ダビデから「主の臨在を求める」事を相続し、この時はまだダビデの幕屋の礼拝が捧げられていました。 神はあなたを「地の塩」「世の光」「丘の上の街」「パン種」として社会や文化に対してどのような状況でも強い影響を与える者、力を持って仕える僕としてとして選んでいます。それは、あなたが共同体の一部となる事で、周りの人々が「王イエスが治める王国」「光」を見てあなたの所に来て、解決や答えを得る為です。

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「王家の者が豊かに与える事の力」ビル・ジョンソン

「王家の者が豊かに与える事の力」ビル・ジョンソン

2歴代誌7章、1列王記10:13 、使徒11 継続して「ソロモン」の人生から新約の時代のクリスチャンの歩み方の話をしましょう。私はソロモン王の人生は 預言的であり、主が先駆けとして、私達新約時代の信者がどう歩むか、また神がどのような奉仕、働きの上に建て上げたかという事を話していきます。王については旧約の歴史と新約聖書からの神学によって「聖書的」な王の姿がねじ曲げられていると感じています。 この世の王は民の力、賜物、人生を使って自分の帝国を建て上げます、しかし神の王国の王はイエスです。イエスは王としてこられましたが、イエスは王の立場、父からの好意を使って人類に最良の形で仕えられました。王の心を持って仕え、僕の心を持って治め事です。また、「王家の者にふさわしく豊かに与える人生」を私達は限り無ない資源を持つ天の神を父とした子達ですから実践する事ができるのです。与える相手の必要にあわせるのではなく、王家の者として限り無ない資源にアクセスをする事ができる、周りの人々や地域を愛する者としてのアイデンティティーから、「惜しみなく与える」事ができるのは私達のアイデンティティーが移行した後に起こる事でしょう。これは、「文化を変革し、人々が内側から変えられる」事のできる力強い道具なのです。敬う事の為に与える事は神の王国の文化です。

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「夢を持つ者が運命を造る」ビル・ジョンソン

「夢を持つ者が運命を造る」ビル・ジョンソン

1列王記8:14~19, 66  箴言4:3~9 ソロモン王はついに神殿をエルサレムに建て、宮を主に捧げました。そして民は「主がダビデに与えた好意と喜んだ、恵みを喜んだ」とあります。ダビデは既に死んでいました。神の価値観は、神と共に「流れ」「ムーブメント」を作るため為に犠牲を払った人たちを覚え、尊ぶ事です。それは、父達と言えるでしょう。パブテスマのヨハネはエリシャではなく「エリヤの霊と力」によってと書かれています。 エリシャはエリヤの2倍の油注ぎを受け取りましが、彼ではなく、父であったエリヤ、代価を払った方に対しての誉れをみる事が神の視野です。 ソロモンの父ダビデの夢は主の神殿を常設に従ったが、主は「あなたの腰から出るもの」がそれをする、と語った。私達の夢や願いは私達がどのような所と交わり、何を思いめぐらせるかによって導かれて形作られます。 ダビデは神によってあなたが神殿を建ててはならない、あなたの腰から出る者がそれをする。と語られた時から何かがかわりました。ダビデは素晴らしい礼拝者、軍事的なリーダー、しかし父としては多くの葛藤があり、多くの失敗がありました。しかし、ダビデの「神の宮を建てる」という夢の故に 息子ソロモンに知恵について教え、バテシバと共にソロモンを「神の神殿を建てる事を実行する者」として準備し、育てます。父として全く変わったのです。 夢をみる事ができない、幻のない父達は 天からの運命のない息子達息子達を 生み出してしまうのです。

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「祝福される時に試されること」ビル・ジョンソン

「祝福される時に試されること」ビル・ジョンソン

1列王記3章 2歴代誌22章8節  イエスの願いは「地域が変革されるため」であり共同体、地域のグループには神からの召しと使命があります。それは個人や1教会の中では現しきれない「神の御国」があるからです。そして地域に影響を与えるために「神の知恵」イエスの考え方を私達が持つ時です。ダビデは勇者で戦いの人であり、王であり優れた軍事的力を用いた。まるで新約聖書時代の信者の生活を生きたような、神の臨在と油注ぎの下で生きました。神の宮を建築するこ事を願ったが、神は許さなかかった。 息子ソロモンは平和の人であり、超自然の賜物である神の知恵を求めました。彼の統治下でイスラエルは最も栄えました。神はソロモンに神の宮を建築させた。ソロモンの統治下のイスラエルは非常に繁栄し、彼は最初は良い始まりでしたが、終わりは多くの失敗と悪い結果を生み出しました。旧約の時代の働きは「罪の深刻さを示す」ことでありそこには解決がないが、イエスが来てからの新約の働きは「解決を示す」ことである。 主の祝福、繁栄を受けて豊かになったソロモンは、自己中心になり、主の御心でない生け贄を捧げた。祝福や繁栄を主から受け取ったときに私達への試み、戦いは主の聖さをおろそかにしないことや、主の戒め、教えを軽んじないことである。主が与えたものを自分の良いように使うことなど。祝福は危険でもあります。 神は私達神の民をいつも祝福と打ち破りをもって導きたいと思っていますね。それは、私達が自分の利益の為に祝福を用いるのではなく、しもべとして仕える心を持ち続け、この世の人、周りの人に解決をもたらすためです。主はしもべたちが与えられた主に求める権利を使って願うことを待っています。

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「悪霊をホームレスにする」ビル・ジョンソン

「悪霊をホームレスにする」ビル・ジョンソン

2コリント10:3〜6、2テモテ2:1〜4 私達の思い、考えのパターンは重要です。「何を考えるか、思いめぐさせるか」によって私達は見えない領域に対して同盟を結び契約をする事になります。霊的戦いは神が私達に与えた仕事の一つであり、私達は悪魔の策略に無知であってはならないとパウロは教えています。 悪霊は信者より劣勢で権威は無いが力はあります。優勢の信者であっても、無知によって劣勢である悪霊の影響を受ける。神が権威を与えた一人の人アダムが悪魔の声を聞き、その考え方に同意した事により悪魔は権威を人の上に持つ様になりました。思いに同意する事は、誓約を結ぶ事になるのです。ですから「全ての思いをキリストに従わせる」事、思いを新しく一新する事は、最初の1人が結んでしまった悪魔との契約を自分の人生、地域や国の運命の為に必要です。 聖書で「神が我がやぐら、わが巌」と判りますが、要塞とは「安心、養い、力、平和」などのある場所であり、その要塞は私達が「神の言葉、神の考え、キリストの思い」 によって「神」が要塞となり、また無知によって「悪の考え、悪魔の国の価値観」によって悪霊が住み、そこから人に影響を与える場所をつくります。リーダー達の為に、油注ぎをもって祈りましょう、彼らの考え方を操るのではなく、祈りによって、信者の考え方によっての空気/見えない領域への影響力が増える事によってリーダー達の目が開かれ、神からの助言を受ける事ができるように。

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「今日がその日です」エリック・ジョンソン

「今日がその日です」エリック・ジョンソン

詩篇188:24 、哀歌3:22、23 「これは主が設けられた日である。この日を楽しみよろこぼう」 私達の教会、家族には「預言的」な文化がありますが、それを私は喜んでいますし、もっと預言するべきだと思っています。でも、一つ思う事は、預言的な文化によって「将来に起こる事」に焦点を当てすぎるのではなく「今、今日、自分が生きている日」に目を向けて生きる事が大事だと思うのです。 昨日には何もできませんし、明日はまだないのです。しかし、今のこの瞬間を生きる事が明日の土台を作るのです。あなたにとって最悪の時、一日でもそこから主は現れたいのです。そして「今、この日」は主がつくられた日なのですから、私は「喜び、楽しむ」ハッピーである事を大事にしています。私達の教会では「ハッピーな人がどれくらいいますか?」と集会の時に聞きますが、これは私達が確かに追い求めている事だからです。現実逃避するような不健康なハッピーではなく、主が造られ、目的と理由をもって造られた一日です。選択できます、するべきですね。 優秀さや高品質を持って物事を達成する事も、この教会の情熱ですが、今はそのなかにあっても、新しい神の流れ、聖霊の風を妨げずに新しい「未開の地」「誰も知らない所」に進む、変化の時です。ですから、時には「めちゃくちゃ」であり「見かけがよくない」時があるでしょう、それでも私達の季節はすでに「新しい、未開の土地」に入って行く時に変化したとおもいます。

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