私はやっと神の創られたセックスは、互いに人生を捧げあった結婚という関係の中でのみ理にかなうのだと学びました。その関係の外では、関係の破綻が続くのは避けられないのです。そして、その破綻を経験すればするほど、異性に対して、人間関係に対して、より頑なになり、セックスと(その相手)をとても簡単に軽く扱うようになります。

自分の道を歩むこと(自分の思いや欲に従って決断すること)で、私は傷つきました。聖霊が「それはやめといて…」と言ったのが聞こえていた時さえあったのに、私は突き進みました。夜のパーティの後、見知らぬ人と車に乗るという危険な状況に身を置いたことを覚えていますが、神は私が思っている以上に何度も私を傷から助けてくれたと心から信じています。主はこんなに勝手で、頑固な私でさえ守ってくださった。高校3年生の時、ハンサムでとてもミステリアスな年上の男性とデートすることになりました。クリスチャンでない友達でさえ何かおかしいと感じ、断るように勧めましたが、私は聞き入れませんでした。彼はカッコよく刺激的だったからです。しかし彼は現れず、デートは起こりませんでした。その時、神が私を守ってくれたと強く感じました。それでも私が選ぶ道は、どんどん危険になっていました。 この道を進むと、その結果は悲惨なものになると強く感じました。

ところが、それでもなお主はあなたがたに訴えます。
「ずっと昔おまえたちが歩いていた、
神を恐れる幸いな道を探し出し、その道を歩きなさい。
そうすれば、たましいに安らぎがくる。
だがおまえたちは、
『いや、その道は通りたくない』と答える。
エレミヤ書 6:16

彼らの心は、いつも迷っており、彼らは、わたしの道を認めなかった。
へブル人への手紙 3:10

ああ、わたしの民が、
従順になってくれたらよいのに。
イスラエルが、わたしの道を歩んでくれたらよいのに。
そうすれば、わたしは直ちに
敵と戦って征服しただろう。」
詩篇 81:13-14

自分の選択がどれだけすべてのものに影響を与えるかを理解するまでは、楽な方法を選んでばかりいました。目では見えませんでしたが、罪の選択をする度、一つ一つ鎖が巻きついていたのです。選択の瞬間のあらゆる場面に、イエスがいたこと、両手を広げて待っていたことを知っていましたが、嘘つきの敵は「このまま行けばいいよ。必要なものは何でも手に入る。イエスの道は時間がかかりすぎるし、もうここまで来たんだから、私の言う道を歩き続けても、これ以上何も変わらないよ。」と言いました。

自分が完全に奴隷にされたことに気づいたとき、私はイエスに助けを叫び求めました。イエスはすぐに助けに来てくれました。なぜなら、実際には、彼はいつも一緒に、傍にいましたが、いつも他の事に目を向けていた私には、彼がどれほど近くにいるのかわからなかったのです。

主よ、お約束のとおり、私を導いてください。そうでなければ、敵に踏みにじられてしまいます。何をすればよいのか、どちらへ進むべきか、はっきりとお教えください。詩篇 5:8

悪魔のやり方はもう充分。悪魔が装った、素敵な包み紙に隠された性的な罪はもう充分でした。結局それを開けるとすぐに地獄の鎖が解き放たれるだけなのに。完全に捕らえられるまで、私は鎖に縛られていることを知りませんでした!それが罪の策略なのです!!! 罪には楽しいと思う時期があります。快楽があります!あなたは、その結果がすぐにはわからないかもしれませんが、借金取りがドアをノックしに来る日が必ず来るのです。不法に手に入れた喜びの為に負った負債を知らせに。そして多くの場合、あなたが負っているのは、自由と引き換えに捕らわれの身になるということです。かつての私は敵の選択を選びとり、奴隷になっていたのです(ローマ人への手紙第6章16節)。少しずつ、解決を失っていき、私はとても弱くなり、どんな誘惑の風にも吹き飛ばされてしまいました。自尊心、自己愛は削り取られました。敵に目をつけられてしまった私には、罪を選択する同じような機会が、不条理に何度もやって来ました。

神の御子は、この悪魔のしわざを打ち破るために来られたのです。ヨハネの手紙Ⅰ 3:8

罪深い考えや性欲の引き金になるような夢、自分の弱さからくる感情に押し潰されそうになり、正直に言って、自分が自由になれるとは全く思っていなかった時、イエスはこう言われました。あなたは捕らわれの身から自由になれる。私はあなたの負債を支払いました。私があなたを自由へと導き、毎日、あなたは強くなるでしょう。あなたは悪魔の誘惑のあるがままを見るでしょう。あなたはしっかりと立ち、揺さぶられることはありません。」イエスは何のために来られましたか?

性的な罪に囚われていた私でしたが、今では自由の中を歩んでいます。時に罪の中に快楽があるように、人生の道には困難が伴います。 この10年間の道のりは私が独身であることの意味を探す旅でもあり、それはまだ続いています。 私は深い孤独と焦りと誘惑を経験しました。 私が神から受け取ったもの、絶対に誰にも取られたくないもの、 それは贈り物であり、大きな苦悩(私とイエスの両方にとって!)を乗り越えて、やっと神の道以外はNOと言う決断ができるのです。 主はより良い方法を教えてくれました。 私は再び捕らわれ人に戻ることは決してありません。 恐ろしいことでした。 悪魔が提供するすべてのものには恐ろしい結果が伴います。 神の道を待つことは(それが不可能だと感じても)、金よりもはるかに価値があります。 わからない時でも神を信頼することを選びましょう!!!!!!! 多くの戦いから得たこのことは、私の心の奥深くに焼き付けられています。