投稿者: Jef Linscott

「『もっと、主よ!』と祈っても大丈夫?」

既にある、更にいただける、というテーマで続けて話をすすめたいと思います。 私たちクリスチャンは常にこの矛盾と言える現実に生きています。 つまり、既に全てをいただいていますが、同時に、更に神様にいただくこともできます。 不思議です。信仰生活の中で、この二つのポイントは矛盾してるように見えますが、実は矛盾していません。 全てが既に与えられているなら、「もっと、主よ!」と祈る時は、実際に何を祈っているでしょうか? 詩篇23篇を見てみましょう。...

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「主の臨在をもてなすことは、愛、喜び、平安の元」

数年前に、今までで一番印象的な預言の言葉を友人からいただきました。 毎週の男性の集まりで、最後に祈り合った時、友人のマットさんが、突然「ジェフのために、6:03am という時間を時計が示している絵を見ました。何か意味ありますか?」と尋ねました。 「そうですね。僕は、毎朝ちょうど6:03am に起きます。」と返事しました。...

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「勝利のために戦わないで!」

「イエスは勝利を既に取られた」という素晴らしい賛美歌があります。 これは真理です! 十字架の上で、イエス様が、詩篇22:31節を引用して、「完了した」と宣言されました。 「成し遂げられた」 「すべてが終った」 「救いの業は完了した」 「何もかもなしとげた」 という、様々な日本語の訳があります。 イエス様が引用した詩篇22:31を見ると、訳によって少し違いますが、同じように、 「成し遂げてくださった恵みの御業」 「主のなされた義」...

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「既にあること、更にもらえること」

既にあること、更にもらえること、いただけることについて、しばらく考えていきたいと思います。 多くのクリスチャンは、キリストにあって既にあることを、いつも祈りや自分の努力によって、更に獲得しようとしています。 こういう場面を想像してみてください: 毎朝、奥さんが起きる時に、ご主人に尋ねます:「あなた、愛してくださいますか?一緒にいてくださいますか。確認したいだけです。あなたと今日も結婚していますよね。」...

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2015年香港ホームカミング報告;「新しい革袋」

2015年7月7日〜10日、香港ホームカミングギャサリンに行ってきました。素晴らしい集会でした。1万5千人、34カ国の兄弟姉妹たちの賛美、そして国と国の間、また世代の間の和解の祈の時は素晴らしかった。ホームカミングギャザリングの特徴/コアバリュー(信念)から沢山学ぶ事が出来ます。主が新しい革袋を強調されていると思います。時々このように何百人、何千人と一緒に集会をすることができますが、それだけではなく、毎日主のご臨在の中に留まり、数人でも、教会の共同体の中で...

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「教会に集っていないクリスチャンへのメッセージ」

前回は、教会に行く義務について話しました。(「教会に行く義務は?」のメッセージをまだお聞きでない方は、先にお聞きください!) その中で、教会に行く義務はありませんが、エクレシア、生ける石として主の宮に建て上げられるためには、頭なるイエス様と繋がっているそれぞれの器官が集まり、励まし合う必要があるという話しをしました。 今日は、特別に教会に集っていない人を励ましたいと思います。 毎週、日本の教会の出席率は、人口の0.22%と言われています。※...

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「教会に行く義務は?」

キリストの体、キリストにある兄弟姉妹、教会、つまりエクレシアは、主に呼び出された者達、聖別された者達として、集まる理由が沢山あります。 この地上を歩き回わり生きている主の宮として、不思議に神様と結び付けられていることによって、お互いに不思議に繋ぎ合わされているものが一つのエクレシア、教会です。...

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「神様との不思議な結合」

前回は、聖霊にあって、私たちの唯一の義務は、愛し合うことだと、聖書の言葉を通して見ました。 そうです。 私たちは、キリストにあって、完全に自由となり、祈り、聖書を読み、断食を通してもっと理解する、経験する、また楽しむことができます。しかし、キリストにある私たちの神様との不思議な結合を更に強固にすることはできません。人間の結婚のように、神様との結合は事実です!...

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「私たちの信仰の唯一の義務」

日本の社会では、義務を果たす事をとても大切にします。 子供は、小さい頃から、他人に対しての義理や、また社会に対する義務や責任を果たす事について教えられます。 多くの人は、クリスチャンになる時も、更に神様にも果たすべき多くの義務があると感じます。 しかし、この順番が大切です。まず、キリストにある自由を経験しなければなりません。 義理や義務、責任から自由となった経験ですね。...

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「神様の怒りを理解するために」

神様の怒りについて少し考えましょう。 神様の怒りは、本当に勘違いされていると思います。 まず、私たち人間は、神様のイメージによって造られたのに、いつも神様を自分のイメージによって作り直そうとしています。 この場合、私たち人間、特に人間のお父さんは、怒りっぽい、いつも怒っているイメージがあります。 いつ怒るかわからないし、多くの子供は、毎日不安を感じながら生きています。 「地震、雷、火事、親父」...

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