パーソナルチャレンジ#4:偶像について

ヨハネは晩年、ヨハネの手紙Ⅰ  5:21にこのように記しています。「愛する子どもたちよ。神に取って代わる心の中の偶像から、自分自身を守りなさい。」

私がイエスの代わりに繰り返し選んだものは、私にとっての偶像となりました。妥協として始まったものが偶像崇拝となっていき、次第にそれに囚われていったのです。

「わたしのほかに、どんなものも神として拝んではならない。」出エジプト記 20:3

「たとえわたしが一万のおきてを授けても、彼らはそれを自分のものではないと言い、遠くにいるだれかのものにするだろう。」ホセア書 8:12


「形あるものは、形のないものより、はるかに私の必要を満たすことができるわ。」

日記、19歳。
昨日は一日中、自分の内側を満たせる何かを探していることに気づいていた。クッキー、タバコ、友達、男性の友達、アイスクリーム、何でも良いから今、形の在るものを求めているとわかっていた。それも安易な方法でできること。そばにいてくださるイエスを見上げ、その愛を示してください、そしてあなたが無限に私を満たすことができるお方であると示してください、と願う代わりに下ばかりを見ていた。

神は私の必要を本当に満たすことができるのだろうか?私にはそれがどういう意味なのか、また、どのようにして満たされるのかがわかりませんでした。そしてどのくらい待つの?寝返りをしたらそこに、いつもいて欲しいのに、と思いました。そして結婚もそのようなものなのだろう、と思っていました。実在する誰かが、私が必要なとき、必要を満たすためにいてくれるものなんだと。でも、望むときに、望む方法で神が私のもとへ来てくれないと感じるときに、私は自分のやり方で必要を満たしていたのです。

「モーセがなかなか山から下りて来ないので、人々は不安になり、アロンのもとに文句を言いに行きました。「さあ、われわれを導く神を造ってくれ。そうしたら、その神のお告げに従おうではないか。エジプトからここまでわれわれを連れて来たモーセは姿を消してしまったではないか。きっと何かあったに違いないんだ。」
アロンはその金を火で溶かし、鋳型に入れ、道具を使って子牛の形にしました。イスラエルの民は、「イスラエルばんざい! これこそ、われわれをエジプトから連れ出した神だ」と言って、喜び叫びました。」出エジプト記 32:1, 4

「金や銀で偶像を作り、それを拝んで、わたしの助けをはねのけた。
いつになったら、自分たちが拝んでいる子牛を、人間の手で作られたものだと認めるのだろう。そんなものは神ではない。」ホセア書 8:4, 6

「いつも、あなたの神に期待しなさい。」ホセア書 12:6

「これに勝るものはない」

私は次第に、セックスを通して得られる男性からの愛情、性的快楽、慰めや安心感は、神が私に与えてくれるどんなものにも勝るはずだと信じるようになっていったのです。

「エフライム(イスラエル)は偶像に従う決心をしたので、わたしの宣告によって押しつぶされる。」ホセア書 5:11

「彼女は『ほかの男たちを追いかけよう。食べ物、飲み物、着物のために身を売ろう』と言って、恥ずかしいことをした。わたしは、いばらの茂みで彼女を囲み、道をふさいで迷わせる。そのため、彼女が愛人たちを追いかけても、追いつくことができない。捜し回っても見つけることができない。そこで、『夫のもとに戻ろうか。今よりも、あの人といっしょの時のほうがよかった』と考えるようになる。」ホセア書  2:5-7 

偶像崇拝をしている間も、神様に愛されていた。

「イスラエルが他の神々に心を向けて、高価な贈り物をささげても、主はなおもイスラエルを愛しているからだ。」ホセア書 3:1b

「いけにえはいらない。わたしを愛してほしいのだ。ささげ物もいらない。わたしを知ってほしいのだ。」ホセア書 6:6

「わたしは彼らを救い出したかった。」ホセア書7:13

「わたしの心は叫んでいる。何としても、あなたたちを助けたい。」ホセア書 11:8

止められない…罠に囚われてしまって。

私の妥協(困難な時に神から離れ、他のこと=偶像的な存在に目を向けること)は、最終的に私を捕らえ(誘惑に反対することができない状態にし)、少しずつ私の人生に死をもたらし始めました(価値観、夢、生きる目的を失うことによる死)。徐々にその偶像的な存在の要求は強くなっていきました。私を拘束し、自身のコントロールを失うまでになっていきました。

「その地の偶像にいけにえをささげ、神には目もくれませんでした。」詩篇 106:36

[おまえの先祖は、どうしてわたしを置き去りにしたのか。わたしに何か罪でもあったというのか。わたしに背き、偶像を拝むなど、全く愚かなことだ。] エレミヤ書 2:5

「わたしの民は、わたしを知らないために滅ぼされる。… 神の栄光を偶像の恥に変えたのだ。」ホセア書4:6,7

「ほかの神々を選んだ者は、悲しみに打ち沈むことでしょう。」詩篇 16:4

「イスラエルよ、あなたの神、主のところに帰りなさい。あなたは自分の罪によってたたきのめされたのだから。願い事を携えて来なさい。主のもとへ来て、こう言うのです。「主よ、私たちの罪を取り去り、恵みによって私たちを受け入れてください。私たちは賛美のいけにえをささげます。アッシリヤは私たちを救えません。私たちの戦力も救えません。もう二度と、自分たちの作った偶像を『私たちの神』と呼びません。主よ、みなしごは、あなたの中にしか、あわれみを見つけることができないのです。」「その時、おまえたちの偶像礼拝と不信の罪をいやそう。わたしの愛は尽きることがない。わたしの怒りは永久に消え去った。わたしは天からの露のようにイスラエルを潤すので、イスラエルはゆりのように花を咲かせ、レバノン杉のように土の中に深く根を張る。枝はオリーブの木のように美しく伸びて広がり、レバノンの森のように良い香りがする。イスラエルの民は遠い地での捕囚から帰り、わたしの陰にいこうようになる。彼らは水をまいた庭園のようになり、ぶどうの木のように花を咲かせ、レバノンのぶどう酒のように良い香りを放つ。エフライムよ、偶像から離れよ。わたしは生きていて、力強い。わたしがあなたの世話をし、面倒を見る。わたしは常磐木のように、一年中、あなたのために実をむすぶ。わたしのあわれみは決して絶えることがない。」ホセア書 14:1-8

偶像に捕われてから1年後、私は絶望の中、助けを求めて叫びました。ようやく、人生において困難なときにも、妥協や偶像に捕われずに、自由の中を歩き続けることを学ぶ準備ができたのです。

日記、24歳
助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。
イエス。イエス。イエス。イエス。イエス。
イエス。イエス。イエス。イエス。イエス。
イエス。イエス。イエス!!!
私にあなたの愛を示して。

苦しみの中から祈り求めると、主は答えて、救い出してくださいました。詩篇 118:5

解放され、救われ、助け出され、聖められた

主は、私たちがどれほど弱い存在か、知っていてくださいます。その恵みは絶えることがありません。敵の手から救い出してくださる主の恵みは、絶えることがありません。詩篇 136:23-24

「私の目はいつも助けを求めて、主に向いています。私を救い出せるのは、主おひとりだからです。」詩篇 25:15

「あなたがたが偶像を捨てるとき、わたしは力を示した。ただひと言で、あなたがたを救った。あなたがたはわたしの救いをその目で見たのだから、わたしの証人だ。」イザヤ書 43:12

「こうして、わたしが奴隷の鎖を断ち切り、金もうけのために酷使した者の手から彼らを解放する時、彼らはわたしが主であることを知る」エゼキエル書 34:27

「その時、あなたがたは、きれいな水を浴びたようになり、汚れがすっかりきよめられ、偶像礼拝も行われなくなる。」エゼキエル書 34:25

「「だが、わたしは再び彼女をくどいて荒野に連れて行き、やさしく語りかけよう。そこで彼女のぶどう畑を返し、アコル(『苦しみ』の意)の谷を、望みの門に変えよう。彼女はそこでわたしに答え、喜びにあふれて歌うようになる。まだ彼女が若かったころ、わたしが彼女をエジプトの奴隷から解放した時のように。主はこう言います。「来ようとしているその日には、彼女はわたしを『私の主人(バアル)』とは呼ばず、『私の夫』と呼ぶようになる。真実と愛をもって、あなたと婚約する。その時、以前とは全く違って、ほんとうにわたしがわかるようになる。」ホセア書2:14-16, 20

ディスカバリーバイブル:
このセクションの聖書箇所を通じて、人間が偶像に向かう傾向について、どんな事を学びましたか?偶像に対する神の気持ちについて、どんな事を学びましたか?偶像を崇拝する人に対する神の気持ちについて、どんな事を学びましたか?