基礎#3:十字架

イエス様は私たちを救うために死んでくださった」ということばが、
滅びゆく人々にはどんなに愚かに響くか、私にはよくわかっています。
しかし、救われた私たちは、これが神の力そのものであると認めるのです。
コリント人への手紙Ⅰ 1:18

十字架で何が起こりましたか?イエスは私のために死ななければならなかったのですか?あなたと私にとって、十字架は何を意味しますか?イエスの十字架上の犠牲は私に何を与えましたか?

ここ数週間でローマ人1〜8を読みましたが、次に以下の聖句を読み、感感願で神を賛美しましょう。声に出して読み、神に祈り求めましょう。感謝を捧げ、あなたの驚きや望みを声にだしてみてください。

しかし今、神の義が示されました!神の義は、信じる者すべてにイエス・キリストによる信仰を通して与えられています。すべての人は罪を犯したので、神の栄光を受けることはできない存在です。 けれども、イエス・キリストによる贖いを通して、恵みにより無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるのです。 神はキリストを立てて、その血によって信じる者への贖いのいけにえとされました。ローマ人への手紙 3:21-25

しかし、私たちがまだ罪人であった時、神はキリストを遣わしてくださいました。そのキリストが私たちのために死なれたことにより、神は私たちに大きな愛を示してくださったのです。ローマ人への手紙 5:8

実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、この世界を愛してくださいました。それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。 17神がご自分の御子を世にお遣わしになったのは、世をさばくためではなく、世を救うためです。 この神の子を信じる者は、永遠の滅びを免れます。ヨハネの福音書 3:16-18

信じますか?

信じるとはどういう意味ですか?

アブラハムは少しも疑うことなく信じ、そのことがまだ実現しないうちから、その祝福のゆえに神を賛美しました。彼は、神の約束はどんなことでも実現すると堅く信じました。 ローマ人への手紙 4:20-21

私たちのためでもあったのです。それは、主イエスを死者の中から復活させた神の救いの約束を信じるなら、アブラハムと同様に、神は私たちも受け入れてくださることを保証しています。 主イエスは、私たちの罪のために死なれました。そして、私たちを神との正しい関係に入れ、神の恵みで満たすために復活なさったのです。ローマ人への手紙 4:24-25

信じます!

私は信じているので、信仰を通してイエスの血によって罪のない者とされる(ローマ人への手紙5:1、9)

私は罪のない者とされるので、*

  • 主イエス・キリストによって、神との間に平和を得ています。(ローマ人への手紙5:1)
  • 信仰のゆえに、キリストは私たちを、いま立っている、この最高の特権ある立場に導いてくださいました。(5:2)
  • その聖霊が私たちの心に神の愛を満たしてくださっています。(5:5)
  • 神が聖霊を与えてくださっています。(5:5)
  • 今やキリストを通して義とされたのですから、キリストによって神の怒りから、私たちは救い出されています。
  • 私たちが神の敵であった時でさえ、ひとり子の死によって、神のもとに連れ戻されたくらいですから、神が私たちのうちに生きておられる今は、御子の命によって救われるのはなおさらでしょう。(5:9)

私たちがバプテスマ(洗礼)を受けてキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。 そして、キリストが父なる神の栄光によって死者の中から蘇らせてくださったように、私たちもキリストの新しいいのちを与えられ、そのいのちに生きる者となりました。(6:3-4)

 誰がこの罪の世の中から私を救い出してくれるのでしょう。私は罪の奴隷です。ほんとうは正しいことをしたいのに、できないのです。反対に、したくないこと、憎んでいることをしてしまいます。 ですから、したくないことをしているのは、もはや私ではなく、私のうちに宿っている罪なのです。(7:13-24)

しかし、主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。キリストによって、私は解放されました。この方が自由の身にしてくださったのです。(7:24b-25)

  • 洗礼を受けたのなら、私は新しい命を生きることができます!(6:4)
  • 洗礼を受けたのなら、古い自分はイエスと共に十字架につけられました。(6:6)
  • イエスと共に十字架につけられたのなら、どんな罪や誘惑からも自由にされたのです。(6:7)
  • 古い自分がイエスと共に十字架につけられたのなら、罪に支配された私の体が滅びました。(6:6)
  • ですから、私はもはや罪の奴隷ではありません。(6:17,18)
  • 罪に対して死んだのに、どうしてなお罪の中に生きていられるでしょうか。(6:2)
  • 神に対してイエス・キリストにあって生きる者で、罪に対して死んだものです。(6:11; 7:6)
  • これからはもう、あなたがたの死ぬべき体を罪の支配にゆだねて、その欲望に従ってはいけません。(6:12)
  • 体のどんな部分をも、罪を犯す道具にしません。むしろ、死から生きる者とされた自分自身を神にささげなさい。神に使っていただく良い道具として自分のすべてをささげます。(6:13)
  • 罪は、二度とあなたがたを支配しません。なぜなら、あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にいるからです。(6:14)
  • 神に感謝すべきことに、以前は罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えに心から従います。(6:17)
  • 今は、罪から解放されて、義という新しい主人の奴隷になっているのです。(6:18)
  • かつて、あらゆる汚れや不法の罪の奴隷でしたが、今は、あらゆる正しいこと、きよいことに仕える奴隷として自分をささげます。(6:19)

その結果はどうだったでしょうか。自分がしていたことを考えるだけでも、恥ずかしくなるはずです。その行き着くところは、永遠の滅びでした。 しかし今は、罪の力から解放されて、神に仕える者になりました。そして、神があなたがたに下さる恵みによってきよくされ、永遠のいのちが与えられているのです。罪の支払う報酬は死です。しかし、神が下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠のいのちです。ローマ人への手紙6:21-23


神は私たちを、サタンの支配する暗黒から救い出して、
愛するひとり子キリストのご支配のもとに移してくださいました。
この神の子は、ご自分の血という代価を払って、
私たちを買い取ってくださり、すべての罪を赦してくださったのです。
コロサイ人への手紙 1:13-14

*https://biblehub.com/greek/1344.htm