パーソナルチャレンジ#12:試練を耐え抜く

愛する皆さん。あなたがたの人生は、多くの困難と誘惑に満ちていますか。そうであれば喜びなさい。 行く道が険しければ、それは忍耐を養う良いチャンスとなるからです。 忍耐力を十分に養いなさい。さまざまな問題が持ち上がった時、そこから逃げ出そうともがいてはいけません。忍耐力が十分身につけば、完全に成長した、どんなことにもびくともしない、強い人になれるでしょう。神が何を望んでおられるか知りたいなら、遠慮なく、直接尋ねなさい。神は喜んで教えてくださいます。願い求める人には、神はいつでも惜しみなく、あふれるばかりの知恵を授けてくださるからです。そのことで、決してとがめたりはなさいません。… 誘惑に負けて悪に走らない人は幸いです。なぜなら、神を愛する人に約束されたいのちの冠を、ほうびとしていただけるからです。ヤコブの手紙 1:2-5; 12

パーソナルチャレンジ:
どんな領域で誘惑にあうと感じますか?人生の中で直面する、悪魔のよくやる企みについて明らかにしましょう。
– それは妥協して神様に従わないということですか?
– または、何か問題がある時に妥協をして、神様以外のものに頼ることですか?
– もしくは、父なる神以外の何かに妥協してしまうことですか?神を待つことをすぐに諦めてしまうことですか?神ご自身と、神様のあなたへの思いを疑うことですか?

悪魔のどんな策略にも立ち向かえるように、神のすべての武具で身をかためなさい。エペソ人への手紙 6:11

誘惑に立ち向かうことが難しいと悩んでいませんか?

今度、あなたが妥協する誘惑に直面した時に、その時々の選択が重要だということを覚えていてください。神様に従う一つ一つの選択はあなたを鍛えます。そんな時は、ただ神の御言葉を覚え、その上に堅く立ってください。立ち続けるのです。聖書を読み、もし必要なら大きな声で読み、そして真理を信じてください。「悪魔よ黙れ!これが真理だ!」そうすれば悪魔は出て行きます。

悪魔に抵抗するのです。そうすればあなたから離れて行きます。

誘惑を受け入れてしまうと、悪魔はあなたを捕えてしまうのです。

パーソナルチャレンジ:
誘惑を受ける時を、あなたの訓練の場と出来ましたか?もしそうなら、その経験を通じて、どんなことを学びましたか?あなたはどのようにして強められ、堅く立ち続けるよう学びましたか?
– 誘惑に立ち向かう理由について、そしてどうすれば誘惑に立ち向かえるのかについて、何を学びましか。
– あなたと神様との関係(神への信頼)はより強められましたか?あなたの人生に神様の御手が見えますか?それがあなたを形作り、より良い人格をつくってくださっているのが見えますか?
あなたが誘惑を受けた時に学んだことで、共有したいと思うことはありますか?

最後に、覚えておいてほしいことがあります。あなたがたは、自分のうちにある主の全能の力によって強められるようにしてください。 悪魔のどんな策略にも立ち向かえるように、神のすべての武具で身をかためなさい。 戦う相手は、血肉を持った人間ではなく、肉体のない者たちです。すなわち、目に見えない世界の支配者たち、この世を支配する暗闇の大王たち、それに、天にいる無数の悪霊です。
ですから、いつどんな攻撃にも対抗できるように、神のすべての武具を用いなさい。そうすれば、すべてが終わった時も、なおしっかり立てるでしょう。 しかし、そのためには、腰に真理の帯をしめ、神の承認という胸当てをつけなければなりません。 次に、平和の福音を伝えるために直ちに出発できる、丈夫なくつをはきなさい。 どんな戦いにも、守りの盾として必要なのは信仰です。これがあれば、サタンが射かけてくる火矢を消し止めることができます。 また、救いのかぶとをかぶり、御霊の下さる剣である神のことばを手にしなさい。エペソ人への手紙 6:10-17

かつては、神様が無防備な私を置き去りにしたと思っていました。でも真実はその反対でした。以前は、ただ横たわり、敵からの矢を受け続けていました。自分に対しての嘘、相手に対しての嘘、そして自分の人生についての嘘を信じていました。でも神様は信仰の盾を、真理の帯を、正義の胸当てを、救いの兜(かぶと)を、御霊からの御言葉の剣を、私たちに与えてくださいました。そして平安をもたらす福音を伝えていくことができるよう、靴をはくようにと言われました。

なんとすばらしい神でしょう。
神はあらゆる点で全く完全です。
そのお約束がすべて真実であることは明らかです。
その背後に隠れる者には盾となってくださいます。
私たちの主のほかに、だれが神でありえましょう。
だれが不動の岩でありえましょう。
神は私に力をみなぎらせ、
行く先々でお守りくださいます。
私の足を、岩山ででもしっかり立つ
野やぎのようにし、
絶壁の上をも安全に導いてくださいます。
戦いに備えて私を鍛え、
鉄の弓さえ引く力を与えてくださいます。
主の救いは私の盾です。
ああ主よ。右の御手が私を支えています。
主のご温情のおかげで、
私は名の知れた者となりました。
主は、私を大またで歩かせ、
しかも足がすべらないようにしてくださいました。
詩篇 18:30-36

堅く立つという事は、神を信頼し、神の武具を身に付けるようなものです。そして神の元へ走り寄り、神に叫び求め、神を待つという事です。

私はまたいつ(誘惑に)負けてしまうのかわからないと思っていました。ですが今は失望や誘惑に直面する時にも、神の御力により堅く立ち続けています。かつては他の人の目に、自分がどれほど価値のある存在なのかを気にしていましたが、今では日々変わらぬ自分の価値を知っています。かつて私の心はいつも騒いで、本当はやりたくないことを繰り返し行っていましたが、今は平安があります。


正しい行いをすることに疲れ果ててしまわないようにしましょう。失望せず、あきらめずにいれば、やがて祝福を刈り取る日が来るからです。 ガラテヤ人への手紙 6:9

いつも主に喜ばれる生き方をして、主の評判を高めることができますように。他の人々に善意と親切とを示し、神をますます深く知るに至りますように。また、こうも祈っています。あなたがたが神の栄光ある力に満たされて、どんなことが起ころうとも前進し、いつも、主の喜びにあふれていることができますように。また、光の国にすばらしい場所を備え、私たちをそこに住むにふさわしい者としてくださった父なる神に、いつも感謝できますように。神は私たちを、サタンの支配する暗黒から救い出して、愛するひとり子キリストのご支配のもとに移してくださいました。この神の子は、ご自分の血という代価を払って、私たちを買い取ってくださり、すべての罪を赦してくださったのです。コロサイ人への手紙 1:10-14

というのも、永遠の救いという神からの一方的な恵みは、だれにでも提供されているからです。しかも、この恵みをいただくと同時に、神が私たちに望んでおられることも実現するのです。それは、神を認めない生き方と罪にまみれた快楽とを捨て去って、日々神を敬う正しい生活を送ることであり、偉大な神と救い主イエス・キリストとの栄光が現れる日を待ち望むようになることです。キリストは、私たちの罪のためにご自分をささげ、神のさばきを受けて死んでくださいました。それは、罪のどろ沼にはまり込んでいた私たちを助け出してご自分の民とし、心のきよい、熱心な、善意の人と変えてくださるためでした。テトスへの手紙 2:11-14