パーソナルチャレンジ#13:荒野、パート2

私の信仰生活では、「イエスは日常生活において、とても大切な存在である」と教えられていましたが、周りにはいつも母、姉、ボーイフレンド、親友が居て、話したい時は彼らがそれに応えてくれました。しばしば彼らに祈ってもらうように頼んでいましたが、目に見えなくてもずっと居られる神との個人的な関係を築くことを怠っていたのです。誰も周りに居ない時、一人で必死でした。腕の中に逃げ込むことの出来る方イエスがいつもそこにいてくださるのをまだわかっていなかったのです。神の英知によって、私を困難な状況を通して荒野に連れて行き、そこで私は、神がそこにいつも居られ、一番の関係に充分な方だと学びました。

独身は、ひとりぼっちと言われます。時間が経つにつれ、親友が次々と結婚し、その配偶者が彼女等の新しい親友になると、「人生の一番の関係」を持つべき相手が誰もいないことがわかります。そして、その場所を埋めるために配偶者を望みます、そうすれば世界が全てうまく行くと思っているのです。しかし人間には心の中の穴を埋めることはできません。その場所を完全に満たすことはできません。誰もあなたのあらゆる必要に応えられる人はいません。いつも期待を裏切られ、失望してしまいます。

イエスが私たちの一番の関係であることを理解すると、すべてがうまくいくようになります。私たちの心はイエスの愛の中にしっかりと確立され、彼が私たちを送ったコミュニティーに健全な個として歩んでいけます。私たちは互いに愛し合い、逆境の時には共に立ち、互いに研ぎ合い、共に笑い、「お互いの重荷を背負い合う」ことができます(箴言17:17)。

イエスのもとへ行きましょう。主のみ手で満たされましょう。 他のクリスチャンにイエスの代わりをさせてはいけません。主の足元に座る喜びを知りましょう。独身であっても、結婚生活においても、主を第一として知り、人生の豊かさを知りましょう。

それが私にとって一番大きな変化でした。自分の信仰に責任を持つようになったこと、自分が必要としているものの為に直接神の御座に行くことです。他の人が何かを持ってきてくれるのを待ったり頼ったりするのではなく、自分で取りに行くのです。ドアをノックして、ノックし続けるのです。神の約束は、あなたが神によって満たされ、必要なものを見つけることができるということです。

パーソナルチャレンジ:
まず誰に頼りますか?神よりも人間関係を優先していませんか?友人、親、子供、夫やボーイフレンド、教会のコミュニティであれ…。あなたが頼っているものを、手放さなくてはならないものを、神に委ねましょう。神が1番になる為には、その場所を空けなくてはなりません。

あなたは私の羊飼いです
あなたは私の世話をし いつも共にいて下さるので安心です
わたしは欲しがらず
備えを求めず
交際を必要としません
私の必要と欲求は全て満たされるところ
緑の牧草地にあなたは私を連れて行ってくれます
乾くことのない豊かで静かな水。生きた水があふれている – 私が必要とするものには何でも
あなたは私の魂を回復させ 空っぽの心を満たし
他人への愛をも感じられない私に 愛を与えてくださいます
敵が恐怖を植え付けようとするところに 平安を取り戻され
疲れている時は 愛で包んで下さいます
あなたはわたしを近くに抱きしめ 共に舞い上がり
わたしの道を導きます
あなたが導いてくださるので、 私は間違った道を歩むことを恐れる必要はありません
たとえ最も暗く 怖い谷間を歩いていても 悪を恐れることはありません。あなたが共にいます。
あなたは私を愛しているので、あなたの鞭と杖でわたしを守り また間違いを正します。
それらはわたしを慰め、あなたはわたしを慰めます。あなたは私の慰め主です。
あなたは敵の前で私に食卓を用意してくださいます。
わたしは素晴らしい豊かな食卓であなたと一緒に食事をするので、目の前の敵は私があなたに愛されていると知ります。
彼等はわたしがあなたとともに居て あなたがわたしを喜び わたしのために居られることを知り、それを眺めることしか出来ないのです。
あなたはわたしの頭に油(マタイ25章の賢いおとめたちのような親密さの油)を注ぎ
わたしの杯はあふれ出ます
あなたのところへ行くと、 あなたは私の必要よりもっと多くを下さいます。私に足りないものは決してありません。 
善と愛はわたしの人生の全てに流れています。毎日です。
そしてわたしは永遠に主の家に住むのです
詩篇 23、意訳

私たちは神の民、その牧場の羊です。
詩篇 100:3