パーソナルチャレンジ#14: 愛されている者として生きる、パート4

親密さについて


日記、19歳
神との親密さ…それをどうしても得たい。これ以上後回しにはできない。見えない神との親密な関係を心から慕い求めるために、私の中の欲求が掻き回される必要があります。

誤解:神との親密さに到達する為には、頑張らなくてはいけないと思っていました。神に届くために、ひたすら必死に頑張っていたのです。だから神と繋がることに必死になるより、物質的な世界やこの世がくれるものが非常に魅力的に見えていたわけです。これに関連して、「神と時間を過ごすこと」は退屈で意味のないもののように感じ、神は私に会うことが出来ないという嘘を信じていました。

私にとって一番の問題は、すぐ目に見えて、感じることのできる繋がりを求めていることでした。「神さまが必要を満たしてくれる?どういう意味?どうやって?」、「待つ季節?何それ?」会いたい時、振り向けば、神にそこにいて欲しかったのです。結婚もそんなものだろうと思っていました。私が必要な時、その人がいつでもそこにいて必要を満たしてくれると。神がすぐに感じられる方法で来てくれなかったなら、自分のやり方で必要を満たすようにしいました。

結婚というデザインの中にある親密さの美は、イエスと花嫁である教会との完璧な関係を、また、イエスと私たち一人一人との関係のひな型だったのです。でも、私は親密さというコンセプトが、分かりませんでした。親密さとは、一方的にではなく双方がお互いに近づくこと、愛によって強められるものです。私は必死に頑張らなくてもよかったのです。私たちが一歩神に近づくと、神も一歩近づいてくれることを知っています。遅れることは?神を感じられない時は?男性は私の心の全ての必要を完全に満たすことは絶対に出来ません。その人がどれ程素晴らしい人であってもです。でも神には出来ます。私の必要が完全に神によって満たされることで、そこから私が与えるのを助けてくれます。そして神の意にかなった結婚から、祝福を受け取ることができるのです。

19歳の頃の祈りは、まずイエスを知ることでした。夫の前にまず、主との親密さを体験することでした。15年経った今やっとそれを学んでいます。それは必要がある時、イエスを継続的に選べなかったからでした。主との親密さを深めるのではなく、必要な時に私の選んだ何かに対して親密さを深めていたのです。

今は他のものを選んだりしません。待ちます。私の心の叫びを聞くことと、一時的な心の安らぎに逃避するのを拒否し続ける間のとても居心地の悪い時間の間も待ちます。すると、「来なさい、わたしの中に留まりなさい」と、神の声が聞こえます。

「神を求めなさい、そうすれば与えられる」という約束を求めました。19歳の時に探し始め、33歳で神の愛に荒野で出会ったのでした。何度も妥協に邪魔され時間がかりました。必死に求めている時に神を待つことを学ぶのにも時間がかかりました。神の手が全てに十分だと知るのに時間がかかったのです。

見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。イザヤ書59:1新改訳

私の旅路は短くて済んだかも知れません。しかし悲嘆に暮れた日々があるからこそ、経験した学びを共有したいと思うようになりました。皆さん、毎日、妥協にNOと言いイエスにYESと言う選択をし続けようではありませんか!そして神が働いてくださる御業を体験しましょう。神を選び始め、神を選び続ける人全てにその啓示が与えられているのです。

日記
四日間、主の臨在を感じられなかった時、神を疑い、神の愛を疑って、神の存在さえも信じられなくなりました。主よ、私をお赦しください。
次にあなたを見ることが全く出来ない時が来ても、その暗闇の中でも主を信じ信頼することを選びます。

日記
ずっと神に対して人間と同じように考えていたので、電話を掛けたらすぐに応えが返ってくるのを期待していました。神は私たちの真の友で、欠かせない中心的な存在ですが、その前に神は聖なるお方で、神の方法は私たちの方法よりも高いのです。


神と二人きりになることを学ぶまで、神との親密さを建て上げることを始めるまで、私たちの魂を満足させてくれる一番の方としての神を知ることは出来ません。

私は、夜、床についても、私の愛している人を捜していました。私が捜しても、あの方は見あたりませんでした。「さあ、起きても町を行き巡り、通りや広場で、私の愛してい
る人を捜して来よう。」私が捜しても、あの方は見あたりませんでした。町を行き巡る夜回りたちが私を見つけました。「私の愛している人を、あなた方はお見かけになりませんでしたか。」彼らのところを通り過ぎると間もなく、私の愛している人を私は見つけました。この方をしっかりとつかまえて、放さず 
雅歌3:1-4

幼い頃から神については知っていました。しかし、後になってみ言葉のいう通りの親密さを持って、本当に神を知ったと言えます2。そのように神を知る前、他のことに目を向けていました。それは神が誰で、神が十分な方だと知らなかったからです。

いけにえはいらない。
わたしを愛してほしいのだ。
ささげ物もいらない。
わたしを知ってほしいのだ。
ホセア書 6:6

神の愛を一度味わい、そこから、神と共にいたいと思うようになりました。義務的な献身ではなく、神が本当に、信じられないくらい素晴らしく、主は私に良いものをもっともっともっともっと用意しています。そしてどんどん神の愛の深みに入って行きたくなるのです。


  1. 親密さは、時間を過ごすほどに深まります。
  2. 親密さは、神のあなたに対する「愛」を味わう度に深まります。あなたがすべきことは、シンプルにその愛を受け取るだけで良いのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」1ヨハネ  4:19
  3. 親密さは、相手を選び続けることによって、その選択をする中でますます深まります。その人の代わりになるものにNOと言い続けることを通して。そして、まだ応えられていない願いがあったり、涙や痛みが一時的に伴っても、その人を待ち望み続けることを体験する中で深まります。
  4. 親密さは、愛情表現をし合うことです。主はあなたのために来ます。必ず来ます。
  5. 親密さは、主につながって、神の霊と一体になることです。

この関係はロマンスから始まります。天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせるのです。(詩編19:1)私たちが心を尽くして熱心に主を捜しつづけるならば、主は必ずご自身を現わしてくださいます。このプロセスで私たちは神の愛に引き寄せられるのです。その結果自然な反応として私たちは神を崇め慕い求めるようになるのです。

イエスを多く愛してくれた。(ルカの福音書7:47)
すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏のつぼを持って来て、泣きながらイエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。ルカの福音書7:37-38

次の二つの聖書箇所に使われているギリシャ語を見てみましょう。

聖書には、神が初めに男と女を造られたので、人は両親から離れて永遠に妻と結ばれ(kollao) 、二人の者は一体(heis) となる、と書いてあるではないですか。彼らはもう二人ではなく、一人なのです。マタイの福音書 19:5

しかし自分を主にささげる(kollao) なら、その人とキリストは、一人の人として結び合わされる(heis) のです。コリント人への手紙1 6:17

この地上での親密さとは男女が結ばれ一体となることを意味します。霊的な意味での親密さとは、人が主に結ばれ一つの霊となることなのです。すごい!その意味をよく味わいましょう。


神との親密な関係は、
主を敬う者にしか持つことはできません。
神はそのような人とだけ、
秘密の約束をかわされます。
詩篇 25:14

神の心をやっと理解し始めたように感じます。私に心の中の秘密を分かち合って下さいます。その道のりは始まったばかりで、私の限られた理解力で神の心の中を理解するのはほとんど不可能です。聖書を開き、時にはたった一段落を読んだだけでも、神への畏敬の念で圧倒され、それ以上進めなくなるほどです。

日記
神さま、私の心を広げてください。あなたの言葉は私の宝物です。あなたが分かち合いたいこと全てを知りたいのです。後戻りはしたくありません。御言葉を示してくださるなら、私はあなたと共に歩みたいのです。あなたの臨在と私の垣間見たあなたの無限の心のほんの一部に圧倒されています。それでももっと深く知りたいのです。あなたが私のために備えてくださっている、すべてを知りたいのです。これが、神との関係です。経験したことのない、この世で最も素晴らしいものです。

「心を尽くしてわたしを求めるなら、あなたはわたしを見つけるだろう」エレミヤ書 29:13
これは私たち一人一人への神の約束です。私は今、神を知る旅の35年目に入ろうとしています。これは、この地球上で神を知ること、そして永遠に神と顔を合わせて過ごすことができるという特権と祝福を伴った人生を通した旅路なのです。

Personal Challenge:
神があなたに言われていることにあなたが応えたいと思う方法はありますか? 今回、55日間のチャレンジに費やしたのは、神とあなたとの個人的な関係についてであることを覚えておいてください。神が私に語ったこと、そして私が神にどのように応えているかを証として分かち合ってきました。あなたが神から直接聞いて、神とあなたとの個人的な関係が深まり、強くされ成熟すること、そしてこれからも続けてくれることを私は願っています。神があなたに語っていることで、あなたが神に応えたいと思う方法はありますか?

2 https://biblehub.com/hebrew/3045.htm