パーソナルチャレンジ#10:性的欲求、夢、記憶、思考 (パート1)

「さて皆さん。筆を置く前に、もう一つ申し上げたいことがあります。真実なこと、良いこと、正しいことに注目しましょう。きよいこと、愛すべきことについて思いめぐらし、他の人の長所に目をとめなさい。神を喜び、賛美することばかりを考えなさい。」 ピリピ人への手紙 4:8

性的欲求

自分の性欲についてどう思いますか?

あなたは一人のクリスチャンとして性欲を持っているという現実に不満を感じたことがありますか?あなたは性欲に憤慨していますか?あなたの性欲は癒されるものだと思いますか?あなたはそれをあなたから取り除くように神に求めますか? 「神はなぜ私に性欲を与えておいて、夫を与えないのですか?」と思ったりしませんか?

神様、なぜ?!しかし…私はあなたを信頼しています。あなたのやり方は完璧だと信じます。あなたが私を完璧に造ったと信じます。そして、これに対処する方法を持っていると信じます。いいえ…私はうまくやりたいのです、そう、うまくできると思います!

パーソナルチャレンジ:

1.神が思慮深く、愛情を込めて私の中に創られたいかなる部分も軽蔑したくありません。勝利に満ちた、喜び溢れ、満足のいく方法で性欲に感謝し、それを自制するにはどうすれば良いでしょう。 (イエスがそうしたので、それが可能であることを私は知っていますーイエスに知恵を求めてください!)

「この大祭司は私たちと同じ試練に会われたので、人間の弱さをよく知っておられ、ただの一度も、誘惑に負けて罪を犯したことはありません。 16ですから躊躇せず、神の御座に近づいてあわれみを受け、時にかなって与えられる恵みをいただこうではありませんか。」へブル人への手紙 4:15-16

それでは、夢、記憶、思考、性欲に火をつけることと、逆に性欲を静めることについて見ていきましょう。


性的な夢

日記
私は昨夜、元彼の夢を見ました。現実だと思って目が覚めました。これをあなたに明け渡します、神様。あなたのタイミングを信じます。「どうなっていただろう」を望んではいません。愛されていると感じること …どうかあなたが、その愛の源に今日も明日もなってください。

リアルに思われる望ましくない夢を見て、後を引き、肉体的および感情的な願望を呼び覚まされた時あなたはどうしますか?

私の経験から、性的な夢には2つのタイプがあると思います:

  1. 敵からのセックスの夢(攻撃)

日記、25歳
悪魔からの性的な夢を見て、私は正当な怒りを持ちます!私は純粋です!私の過去は十字架で雪のように白く浄められたのです。昨夜のような夢(私が罪を犯したかのように目覚め、それに合わせて新しい新鮮な精神的イメージを伴う)は、霊的にも違反行為です!イエスの血で眠っている間の心をも覆ってください。非難された気持ちで目覚めるなんて、そんな感情は神から来るものではありません。

2. 生理的な性欲の解放としてのセックスの夢(自然)

もし最近、性的な画像などを見ていなければ、その夢は自分から望んで受け入れたものから来たのではないことがわかります。朝に悪い気がするのは拒否します。

これって、月の周期に関わること?女性の場合、ひと月の間の特定の時期、また特定の年齢の間に、ホルモンの関係で感情が高まることがあります。これは私たちの生理学的な事実です。

最近性欲を刺激するようなものを見たりして、それらの夢がおそらくそれによって引き起こされたとわかっている場合は、悔い改めて、神の清めによって私を洗い流し、それらを沈めてくださる様に聞き願います。

毎回、私が(肉体的および感情的な領域で)もう一度洗い清められ、満ち足りた状態で、1日を過ごせるよう祈ります。


思い出と思いやり

日記、25歳
昨夜、元彼との数々の思い出のシーンに襲われました。神に私の目を開いて、何が起こっているのかを見せて下さいと祈りました。悪魔が次々に私の頭に画像を挿入しているのを見ました。私は怒ってそれに対抗して声に出して祈りました。多分それが秘訣だろうと思います。敵に怒り、戦うことを学ぶと同時に、本当に何が起こっているのかに目が開かれるよう神に頼みました。

 もしあなたがすでに多くを経験したのなら、山積みの思い出にキリがない様に感じるかもしれません。それらから完全に自由になるなんて不可能に思えます。

日記、34歳
時々、10年経った後でも、まだ思い出と戦っています。これらの過去の思い出をどうすればいいのでしょう?

しかし、イエスの打ち傷によって、私たちは癒されました。あなたと私のために流されたイエスの血には、最後の一つの記憶まで癒す力があります。あなたがしたこと、されたことすべての記憶は神の赦しと、あなたの人々への赦しと、そして信仰によって洗い流されたのです。

「このように、キリストは私たちを自由の身にしてくださいました。ですから、この自由をしっかりと握っていなさい。もう二度と、律法にがんじがらめになった奴隷とならないよう、細心の注意をはらいなさい。」ガラテヤ人への手紙 5:1

それらの思い出を「見る」と、必然的につまずきます。束縛のくびきに二度と絡まりたくない!ですから、それらを「見る」のではなく、思い出が訪れたとき、私はすべての思いをとりこにし、それをキリストに従わせます(コリント人への手紙II 10:5)。記憶が薄れるとそれらは力を失っていきます。

私がごくあたりまえの弱い人間であることは事実です。しかし私は、戦いに勝つために人間的な計画や方策を用いません。 悪魔の要塞を打ち破るために、人間の手によらない神の強力な武器を使います。 この武器は、神に逆らうあらゆる高慢な議論と、人々の目から神を隠している、あらゆる壁を打ち砕きます。この武器を用いて私は、反抗する者を捕虜として神に連れ戻し、回心させて、キリストに従わせます。コリント人への手紙Ⅱ 10:3-5

不快な記憶、トラウマの記憶

多くは自分にされたことに怒りながら生きています。イエスに従う者として、実際に私達は洗い清められ、自由になり、敵を愛することができます。過去の記憶はその様な私たちを捕らえることはできないのです。1

この「ピュアハートチャレンジ」の参加中に、神があなたを解放へ導いておられると感じる時があれば、神の導きに従ってください!もうその機会が与えられた人は、素晴らしいことです!そうでない方は、私たちにお知らせください。イエスは私達を救い、解放し、そして癒すために来られました!!!!!これは私達ひとりひとりが受け取る事のできる救いなのです。2

心地よい性的記憶

これが私の一番難しいチャレンジです。神は私に欲しくない記憶が来た時の戦い方をくれました。でも自分の欲しい記憶が来たとき…これは全く違った戦いになります。

独身で悩んでいるとき、男性に愛されたいとき、その欲求を自分だけに留めて、神により頼もうとしない時に、私は愛を感じられる思い出に浸ってしまいます。これらの思い出は、私が愛され、抱かれ、安全だと感じたときのことです。たとえそれが誤った親密さから来ているとしても、少なくともその瞬間に持っていた感情はリアルだったので、私はそれを切望してしまう時があるのです。それらの記憶の中に浸って、そこに喜びを求めていることに気づいた時、何かが起きています。私には満たされるべき必要があり、無意識のうちにそれを満たそうとしているのです:肉の思いで、それを探し求めています。でも、神は私のために何を用意してくださっているのでしょう?これらの欲望を思いやり溢れた神の手の中に委ねると、私の手は空になり、神が用意してくださった、必要の満たしを受け取れるのです。

「神様、あなたは私を愛しています。あなたは私を気遣ってくれます。私はあなたの中で安全です。直視するのが難しいかもしれませんが、これらの記憶の真実を教えてください。それらの記憶に繋がった偽りの風船を割ります。記憶の中に安らぎを求めていましたーこの「心地よい毛布」を私から遠ざけてください。もう欲しくないです。もう要りません。イエスの御名によってこれらの感情的なつながりを断ち切ります。」

神は私の必要の全てを満たしてくださる。この約束を文字通り受け止めます。 「神様、あなたにこの必要を委ねます、そしてあなたがそれを満たしてくださることを感謝します。」神は私たちよりも、私たちの必要を知っています。創造主は私たち自身よりも私たちのことをよく知っているので、神を養い手として信頼することができます。

2. あなたはいつ性的な記憶に惹かれますか?それらの記憶/性的思考から得ようとしているあなたの必要は何ですか?それらの記憶は本当にあなたが求めているものをあなたに与えることができますか?それとも見せかけですか?幻想ですか?見せかけよりも真実を選択してください。この瞬間にあなたの必要を満たすために神は何を与えてくださいましたか?

どんな妨げもない、完全な自由の中にいることが私の願いです。過去の記憶を思い出し、当時の思いが自分の中で大きくなり始めたと感じる時は、それが闇に留まることがないよう、神の光を招き入れ、そこを照らしていただくのです。主の導きにより、そういう時はキリストの姉妹に過去の思い出をシェアし、その記憶の中に、聖霊の光を輝かせてもらうことで癒してもらい、不要な繋がりをも断ち切ってもらうのです。私自身が誰かを赦すことが必要な時もありますし、過去に信じたり、同意したりした嘘から解放されることが必要な時もあります。神の導きは優しく、全てが時にかなっているのです。私は過去の思いをひとつひとつ覚えているので、誰かが何かを言ったり、した時に引き金となり、いつもとは違う反応をしてしまうのです。その時に起こっていることを通じて、過去の記憶が思い起こされているのだと気づくのです。そして時に、その記憶は「誰にもその事を話すべきじゃない」という思いとともにやって来ます。そのような思いが来る時には、むしろ信頼できる姉妹に打ち明け、聖霊の光を照らしていただくべきだと思います。過去に嘘を信じてしまっていたと気づいた時や、過去の記憶が私を縛っていると気づいた時には、より強く真理を追い求めるようにするのです。その瞬間、神は私の前に現れてくださるのです。その御顔を私に向け、驚くほどに、圧倒的で、そして理解を超えるほどの愛を私に示してくださるのです。更に、主イエスの血によって、その記憶が覆われたことを示してくださいます。神に、今どこにいるのか問いかけてみてください。神に、今あなたをどのように見ているのかと聞いてみてください。神に、真実と差し替えられるべき敵の嘘について、示してくださるように問いかけてください。

10分7秒の証:思い出

1 Repeated from Personal Challenge #5

2 Repeated from Personal Challenge #2