基礎#5:神の井戸から飲むことを学ぶ

渇いている人がいるなら、金を持っていなくても、 自由に飲みに来なさい。 最上のぶどう酒とミルクと穀物を 無料で持って行きなさい。 どうして、少しも力のつかないもののために 金を無駄遣いするのか。 少しも腹の足しにならない食べ物のために 金を払うのか。わたしの言うことを聞きなさい。 そうすれば、たましいを元気にする 栄養価の高い食べ物をどこで手に入れるか、教えよう。 わたしのところへ来て、耳を傾けてよく聞くのだ。 あなたがたは立つか倒れるかの瀬戸際なのだ。 わたしはあなたがたと永遠の契約を結び、 ダビデ王を愛したように、 今も変わらず、あなたがたを愛したい。 彼は回りの国々を倒し、わたしの力を証明した。 あなたもまた国々に命令するだけで、 彼らは走って来て仕える。 それは、あなたの力や功績によるのではない。 あなたの神であるこのわたしが、 あなたを輝かせた結果である。 見いだすことのできる間に主を探し求めなさい。 近くにいる間に主を呼び求めなさい。 悪事を捨て、悪いことをしようとする思いを、 きっぱりと捨てなさい。 主に立ち返るなら、 主はあなたをあわれんでくださいます。 私たちの神に帰りなさい。 神は赦してくださいます。 「わたしの計画はあなたがたの考える計画とは違い、 わたしの思いはあなたがたの思いと同じではない。 天が地より高いように、 わたしの道はあなたがたの道より高く、 わたしの思いはあなたがたの思いより高い。 雨や雪は天から降って来て地をうるおし、 穀物を成長させ、 農夫には種を、空腹な人にはパンを与える。 わたしのことばも同じだ。 送り出せば必ず実を結ぶ。 わたしの望みどおりのことをし、 送られた先々で大きな影響を及ぼす。 あなたは喜びと平安に包まれて生活し、 山も丘も野の木々も、周囲のものはみな喜ぶ。 いばらの生きていた所には、糸杉が茂り、 いらくさが生えていた所には、 ミルトスの木が芽を出す。 この奇跡はわたしの名を偉大にし、 わたしの力と愛を示す永遠のしるしとなる。
イザヤ書 55:1-13


こう言われて、はっと気がついてみると、なんと井戸があるではありませんか。
創世記21:19

何もない、誰もいない必死な状況の中で、神は私を絶対的な力で荒野に導かれ、私は床に横たわっていた時、主の愛を見つけました。すべてが剥ぎ取られ、 人とも引き離され、 ハガルと同じように一人でした。そして主は私の目を開きました。

そして、やっと他に目を向けることをやめ、他に目を向ける必要がないことに気付き、神に目を向けると、主は必要とするすべてのものを持っていて、私の必要な全てであることがわかりました。

私は井戸から飲むことを学びました!!!!!!!!!!!!!!

神よ、私を他のすべての源から切り離し、あなたの井戸を見つけるための時間を与えてくださったことを感謝します。やっとその井戸の水を味わい、それは私が2度と渇くことが無いほど充分だと知ったのです。私の目はあなたを見るために開かれました。

私には、こう申し上げるほかありません。
『あなたのことはずっと前から聞いていましたが、
今私は、あなたをこの目ではっきり見たのです。
ヨブ 記 42:5

1分5秒の証

荒野は、2度と渇くことのない井戸で渇きを癒すことを学んだ場所です。

もし、神があなたにどんなにすばらしい贈り物を用意しておられるか、また、わたしがだれなのかを知っていれば、あなたのほうから、いのちの水を下さいと願ったでしょう。ヨハネの福音書 4:10

私たちは二度と渇くことのない者としての人生に召されています。私たちは主から飲むように招かれています。

ギリシャ語のdipsaoは喉の渇きを意味し、次のように定義されています。:

  • 喉の渇きに苦しむ 喉の渇きによって苦しむ
  • 比喩として、喉が渇いていると言われる人たちは、自分の魂がリフレッシュされ、支えられ、強くしてくれるものを痛烈に切望してるということです。1

「イエスは言われました。「この水を飲んでも、すぐにまた、のどが渇きます。 けれども、わたしがあげる水を飲めば、絶対に渇くことはありません。わたしがあげる水は、それを飲む人のうちで永久にかれない泉となり、いつまでもその人を永遠のいのちで潤すのです。」」ヨハネの福音書 4:13-14

「わたしが、そのいのちのパンなのです。わたしのところに来る人は、二度と飢えることがありません。わたしを信じる人は、決して渇くことがありません。」ヨハネの福音書 6:35

祭りの最後の一番大切な日に、イエスは大声で群衆に語りかけました。「だれでも、渇いているなら、わたしのところへ来て飲みなさい。 わたしを信じれば、心の奥底からいのちの水の川が流れ出ると、聖書に語られているとおりです。」 〔イエスは聖霊のことを言われたのです。ヨハネの福音書 7:37‭-‬39


「わかりません。どうか教えてください」と答えると、彼は言いました。「あの人たちは激しい迫害をくぐり抜け、小羊の血で、その衣を洗って白くした人たちです。 だから、こうして神の王座の前にいて、昼も夜も、神殿で奉仕しているのです。そして、王座に座っておられる方によって、安全にかくまわれています。 彼らはもう二度と飢えることも、渇くこともありません。灼熱の太陽からも守られています。 それは、王座の正面に立たれる小羊が、羊飼いとして彼らを養い、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また神は、彼らの目からあふれる涙を、すっかりぬぐい取ってくださるのです。」ヨハネの黙示録 7:14-17

また私ヨハネは、神のもとを出て天から下って来る、聖なる都、新しいエルサレムに目を奪われました。その眺めのすばらしさは、まるで美しく着飾った花嫁のようでした。 私は、王座から大声で叫ぶ声を聞きました。「ごらんなさい。神の住まいが人々の間にあります。神は人々と共に住み、人々は神の国民となります。神ご自身が人々の中に住み、」
「いっさいのわざが成し遂げられました。わたしは初めであり、終わりです。のどの渇いている者には、いのちの水の泉をあげましょう。 勝利を得る人はだれでも、すべての祝福を相続できるのです。わたしはその人の神となり、その人はわたしの子どもとなります。」
ヨハネの黙示録 21:2-3,6,7

聖霊と花嫁は、「来てください」と言っています。これを聞く人々は、同じように、「来てください」と言いなさい。渇いている人(求めている人)は、だれでも来なさい。そして、いのちの水をただで受けなさい。ヨハネの黙示録 22:17

1 https://www.biblestudytools.com/lexicons/greek/nas/dipsao.html